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- 【クオール】宮城県とがん啓発・検診推進で包括連携協定を締結
左から、宮城県村井知事とクオール株式会社柄澤社長 クオールホールディングス株式会社の中核子会社であるクオール株式会社は、宮城県とがん啓発およびがん検診の受診率向上に関する包括連携協定を締結した。この協定は、薬局を拠点に地域住民へがんに関する正しい知識と検診の重要性を伝え、がんの早期発見を促すことで、県民の健康寿命の延伸を目指すものである。 協定締結の背景 日本における死亡原因の最たるものががんであり、2022年の厚生労働省の統計によれば、およそ4人に1人ががんで命を落としている。がんによる死亡や治療に伴う生活の質の低下を防ぐには、早期発見・早期治療が極めて重要である。クオールは、宮城県が進めるこの取り組みに賛同し、地域住民のクオリティ・オブ・ライフ向上への貢献を目指し、今回の協定締結に至った。 今後の取り組み 薬局での情報提供強化: 全国のクオール薬局にて、がんに関するパンフレットやポスターを掲示し、地域住民ががん検診の重要性を認識しやすい環境を整備する。 薬剤師・医療事務スタッフによる推進活動: 薬剤師や医療事務スタッフが、来局者に対してがん検診の受診を促す声かけや情報提供を積極的に行う。 クオールは、地域に密着した薬局の強みを活かし、がんの早期発見・早期治療に繋がる具体的な活動を展開することで、宮城県民の健康増進に寄与していく。
- 【スタートアップ】「第2の医薬分業」と在宅医療の最前線
東京在宅薬局株式会社 ほうもん薬局江東店 代表取締役・薬剤師 田中 平(たなか・たいら) 「東京都内で訪問在宅の一番を目指す」と意気込むのは、東京在宅薬局株式会社の代表取締役で薬剤師の田中平さんd。現在は、個人在宅を事業の中心に据え、目黒区、新宿区、江東区で3店舗の薬局を運営している。 大学卒業後は「数字で評価される仕組みが自分には合っている」という理由から製薬企業に就職した田中氏。彼が就職した頃のMR(医薬情報担当者)の仕事は、製品の流通を担う部分が多かったものの、時代の変化とともに、製品に特化した情報を医療従事者に提供することが仕事の大半を占めるようになった。田中氏は当時を振り返り、「MR活動のあり方が変化し始めた頃から、自分がイメージしている仕事ではない気がして違う道を模索し始めた」と語る。そして、「取引先の薬局の社長と話しているうちに、薬局薬剤師ならMRとは違った立ち位置で医療に貢献できるのではないかと考えた」と、独立に至った経緯を説明する。 独立を決意してからの田中氏の行動は迅速であった。M&Aの仲介会社に登録し、半年後には開業したという。それが社会人3年目の27歳のときであった。近隣には2つのクリニックがあったが、1ヶ月後に悲劇が訪れる。1つのクリニックの院長が新型コロナウイルス感染症に罹患して亡くなり、そこから薬局の売り上げは3分の1近くまで落ち込んだ。このままでは倒産という状況であったが、翌年2月、新宿の薬局からM&Aの話を持ちかけられ、半年後には2店舗目の薬局を立ち上げた。「何とか今の状況を打開したいという思いで契約した」と田中氏は胸の内を明かす。 2店舗目の薬局は特別養護老人ホームを担当していたこともあり、施設への営業をかけた。しかし、すでに大手薬局が担当しているところが大半であったため、個人宅にターゲットを絞った。2021年の夏頃から在宅クリニックに営業をかけ、ようやく1件を担当することができた。田中氏は「薬のことはもちろんのこと、食事や生活環境など、外来では見えなかった部分があり、薬剤師が介入する場面が多いと痛感した」と在宅医療における薬剤師の役割を指摘する。そして、「患者やその家族、他職種から薬剤師冥利に尽きる一言をいただくことも多く、そこからは個人在宅を事業の中心に据えようと決意した」と話す。そこから同社の取り組みが他職種から評価され、今では約250人の患者を担当しているという。 そして2023年4月には、江東区に3店舗目の薬局を新規開業する。「訪問先が片道30~40分かかるところもあったため、効率化を図ること、新規開業しても経営の見通しが立ったため、訪問在宅に特化した薬局をオープンした」と田中氏は経緯を説明する。3店舗目の薬局を開業してから1年ほど経つが、現在は500人の患者を担当しているという。 田中氏に今後の展望について尋ねると、「院外処方箋が普及した時期を『第1の医薬分業』とすると、在宅医療が普及していく現在は『第2の医薬分業』ではないかと考えている。個人在宅に関しては大手薬局もそれほど取り組めておらず、中小薬局が生き残る道はここしかない。一人ひとりの患者のニーズに合わせた対応をすれば、東京で一番になれるのではないかと思っている」と語る。そして、「訪問在宅を盛り上げたいと思っている学生がいましたら一度、問い合わせてほしい。疑問に思っていることがあれば何でも回答する」と締めくくった。 取材後記 田中社長の話を伺い、「在宅薬局」として薬剤師がしっかりと介入し、評価され、必要とされることを改めて再認識させられた。真の意味で「選ばれる薬局」となっている「ほうもん薬局」さん。これからに注目である。(薬学ステップ寺本)
- 問◆アジソン病で特徴的に認められる所見はどれか。【国試探検隊】
問 63 アジソン病で特徴的に認められる所見はどれか。1つ選べ。 ❶高血圧 ❷高血糖 ❸体重増加 ❹色素沈着 ❺活動性亢進 (第108回薬剤師国家試験より) *** 蔵之介です。必須問題【病態・薬物治療】からの出題です。アジソン病は副腎の機能不全により、副腎ホルモンが不足する疾患。起立性低血圧や易疲労感、食欲不振、体重減少、色素沈着などの症状がみられます。また、コルチコステロイドが不足すると、インスリン感受性が高まり低血糖を起こします【解答は4】。 アジソン病と言えば、第35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディが有名です(政治家に病気はタブーなので、在職中は公表されていません)。若々しい雄姿と卓越したスピーチで、キューバ危機、アポロ計画、公民権法などを克服し、ギャラップの世論調査では歴代1位と絶大な人気を誇ります。しかし、現実はだいぶ違うようです。幼少時から病弱で、アジソン病による脊髄の発育不全で、家庭内では松葉杖状態。副腎ホルモン(コルチゾン)の長期的な補充療法による副作用のせいか、骨粗鬆症(腰痛)、精神症状、不眠など、大量の鎮痛薬や睡眠薬を手放せず、マリリン・モンローをはじめとする醜聞には事欠かきませんでした(日本のケネディ神話とは、かなりのギャップが…)。閑話休題。 ウォール街の相場師の異名を持つ父ジョセフは、株式や不動産投資で巨万の富を築きました。息子を大統領にという野望は、長男のジョセフ・ジュニアの戦死により次男のジョンに託されました。莫大な選挙資金をバックに、三男ロバートが選挙戦を仕切り、名スピーチライターのセオドア・ソレンセンなどのブレーンを抱え、43歳の若さで大統領選に挑戦しました。対立候補は経験豊富な共和党のリチャード・ニクソン。歴史的な接戦を制したのは、史上初のテレビ討論会です。スタイリストを雇い、濃紺のスーツに入念なメーキャップ。対するニクソンは、議論を重視しノーメイクに無精ひげ。薄い色のスーツは弱々しい印象を与えました。ラジオを聴いた人はニクソン、テレビを見た人はケネディに軍配を挙げました。カラーテレビの時代ならコウメ大夫のように厚塗りしないと隠せませんが、60 年代のモノ黒テレビには、「色素沈着」は日焼けしたスポーツマンに映りました。映像の時代のフロントランナーの暗殺事件を伝えたのも、日米初の衛星テレビ中継でした。 出題予想 バセドウ病のようなメジャーな疾病ではなく、少々マイナーな「橋本病」を予想します。 ■解説 蔵之介(アポクリート株式会社)
- 「企業で活躍したい薬学生必見!! ~薬連OB・OG講演会~」スタッフインタビュー
一社)日本薬学生連盟外務部は2024年2月17日に「企業で活躍したい薬学生必見!! ~薬連OB・OG講演会~」を開催しました。この企画では、学生時代に弊団体に所属し、現在は製薬企業で勤務する先輩2人に、ご自身の現在の仕事内容や就職活動の体験談などを伺いました。今回はこの企画で企画長を務めた山田真由香さん(名城大学薬学部3年生)と2023年度外務統括理事の余語佑月さん(同2年生)にお話を聞きました。 ── このイベントを企画した理由を教えてください。 山田: 私は製薬企業への就職に関心がありましたが、大学ではなかなかお話を聞く機会がありませんでした。そこで、この企画を通して情報収集したいと思いました。 余語: 私はもともとOB・OGを呼んだ企画を行いたいと考えていました。また、この団体の卒業生の進路は多彩で、非常に興味深いお話を聞けると思ったことも理由です。 ── 企画を行ううえで楽しかったことはありますか。 山田: 企画冒頭のアイスブレークの内容を考えるのが楽しかったです。ブレークアウトルームに分かれて自己紹介をしたあと、司会者が参加者に質問をするというゲームを行いました。その質問内容を考えるのが楽しかったです。 余語: 講師との連絡がカジュアルで、話しやすかったです。通常は講師の方とメールでやり取りすることが多いのですが、今回はLINEでやり取りしていたため堅苦しくなりませんでした。 ── 企画の中で大変だったことはありますか。 山田: 2人の先輩に同じ情報を共有するのが少し大変でしたが、全体的にはほぼスムーズに準備を行うことができました。 余語: 全体的に企画準備をスムーズに行うことができ、大変なことは特にありませんでした。今回はスタッフの人数が少なかったため一人ひとりが責任感を持って活動したことや、講師であるOGの方がこちら側の勝手を分かっていたのが理由かもしれません。 ── 企画当日、先輩からお話を聞いた感想を教えてください。 山田: 就職活動の大変さを実感しました。これまでは5年生から行おうと思っていましたが、今回のお話を聞いてもう少し早めるべきであるとも感じました。また、社会人に求められるコミュニケーションを実際に見て学ぶことができ、今後の学生生活の糧となる時間でした。 余語: 私も就職活動の大変さを実感しました。また、卒業生の優秀さを実感しました。企画中に英語の勉強法が話題に挙がったのですが、その時に「目に入ったフレーズを唱える」とおっしゃっていて、非常に勉強になりました。これまでも「何かをしないといけない」と思ってはいましたが、今回の企画で「何をするべきか」が明確になったような気がします。 ── 企画を通して成長したと思うことはありますか。 山田: これまでは自分でできることは一人でやりたいと思っていましたが、今回の企画を通して人を巻き込むことを覚えました。スタッフに仕事を振ることができ、自分の仕事量もそこまで多くなりませんでした。 余語: 企画を有意義に活用できたことです。これまでは企画の運営ばかりに集中してしまって当日の講演を聞く余裕がなく、企画から得られるものがほとんどありませんでした。今回はこれまでの経験もあるのか、運営以外にも目を向けられるようになりました。講演をじっくり聞くことができたので、実りある時間を過ごすことができました。 ── 今後この団体でやってみたいことはありますか。 山田: 学年関係なく楽しく遊べる企画をやってみたいです。以前謎解きゲームをやってみたいと思っていたのですが実現できなかったので、いつかやってみたいです。 余語: 就職活動をほとんど知らない低学年が、就職活動をある程度経験した高学年のアドバイスを聞く機会をつくってみたいです。今回のイベントで、低学年でも就職活動に興味を持っている学生が少なくないことに気が付きました。そこで、低学年と高学年が関わる機会を設けるためにもこのような企画をやってみたいです。
- 問◆長井長義によって世界で初めて単離されたのはどれか。【国試探検隊】
問72 長井長義によって世界で初めて単離されたのはどれか。1つ選べ。 ❶モルヒネ ❷エフェドリン ❸アトロピン ❹サリチル酸 ❺コカイン (第108 回薬剤師国家試験より) *** 蔵之介です。必須問題【法規・制度・倫理】からの出題です。長井長義といえば、生薬(麻黄)からエフェドリンの単離・抽出、渋谷にある長井記念館などが思い浮かびます【解答は2】。あらためて調べてみると、「日本の薬学の父」と呼ぶのにふさわしい人物です。長井長義は、幕末の頃、阿波国・徳島藩の御典医の長男として生まれました。藩命による長崎留学。勝海舟や坂本龍馬の撮影(当時は最先端のハイテク技術)で有名な写真家、上野彦馬から化学の手ほどきを受けました。明治4年、大学東校(東京大学の前身)に在学中、明治新政府の第1回官費留学生に選ばれ、ベルリンに留学。有機化学の大家、ホフマンに師事。助手に任命され13年間滞在しました。森鴎外(明治17年)や夏目漱石(明治34年)より、かなり早い時期です。帰国後は、医薬分業と薬剤師養成に尽力し、東京薬学会(現・日本薬学会)を創設して初代会頭に就任。爾来(じらい)40余年にわたり薬学会の発展に寄与しました。エフェドリンは大日本製薬によって製品化されました。今日でもヱフェドリン「ナガヰ」として販売され、局方にも収載されています。 また、テレーゼ夫人とともに女子教育に力を入れ、日本女子大学や雙葉学園の設立に貢献しました。雙葉会のシンボルである双葉葵(ふたばあおい)は植物学に精通した長井の提案とされます。テレーゼ夫人は、大正11年に来日したアインシュタイン夫妻のドイツ語通訳も勤めました。没後、長井邸は日本薬学会に寄贈され、この地に長井記念館が建設されました。エントランスに博士の胸像、地下2階には夫人の名にちなんだレストラン「テレーゼ」、8階には日本病院薬剤師会の事務局があります。 出題予想 人名が続くなら、カタリン・カリコ(mRNAワクチン)、柳沢正史(スボレキサント)、杉本八郎(ドネペジル)、フェリックス・ホフマン(アスピリン)… ■解説 蔵之介(アポクリート株式会社)
- 【日本製薬工業協会】武田薬品工業・宮柱明日香氏が新会長に就任日本の医療の未来をCo-creation(共創)で切り拓く
日本製薬工業協会(製薬協)は2025年5月22日、新会長に就任した武田薬品工業株式会社の宮柱明日香氏による記者会見を開催した。 日本の医療の持続可能性と革新への貢献 宮柱氏は、会長就任にあたり、日本のユニバーサルヘルスケアの素晴らしさを再認識するとともに、将来に向けて持続可能な医療と社会をどのように築いていくかという問いを提起した。また、人生を変える革新的な医薬品を世界中の患者が待ち望んでいるとし、研究開発型企業としての責務を果たすことの重要性を強調した。 日本の医療における課題と解決への貢献 日本が直面する課題として、超高齢社会における医療ニーズの増加と働き手の減少、限られた医療資源の効果的かつ公平な再分配、そして科学技術やデジタル技術の進展に伴う医療の高度化と地域・経済格差の拡大を挙げた。特に、がんや再生医療、AI診断など最先端医療をいかに迅速に国民に届けるかが重要だとした。 製薬産業が果たすべき役割は単に医薬品を届けるだけでなく、革新的な医薬品の安定供給による治療成績の向上と国民の健康寿命の延伸、研究開発集約型産業としての経済発展への寄与、そしてデジタルテクノロジーを活用した医療の「見える化」を通じた新たな価値創造と社会的インパクトの創出を挙げた。これらの価値を相補的に高めながら、日本の持続可能な医療に貢献していくことを表明した。 Co-creation(共創)による価値創出の重要性 製薬産業が今後さらなる価値を生み出すためには、「国民、患者、政府、行政、アカデミア、医療機関など、幅広いステークホルダーとのCo-creation(共創)が不可欠である」と宮柱氏は強調し、製薬協として発信力を高めながら、国、行政、アカデミア、患者、国民といった多様なステークホルダーと対話を進め、共通の社会的課題解決に向けて連携していく考えを示した。さらに、海外の業界団体とも密に連携し、グローバルな視点から製薬産業の課題を議論していく意向を表明した。 日本の創薬力強化と生産体制の整備 日本の創薬力の低下も課題であるとし、世界売上上位医薬品の起源国における日本の位置づけが6位であることを指摘。特に、米国と比較してバイオファーマへの投資規模が著しく低い現状に危機感を示した。 また、国内医薬品供給の7割以上を輸入に依存している現状を挙げ、パンデミックや地政学的リスクに対する脆弱性を指摘。バイオ医薬品や新規モダリティ分野における国内での生産機能の誘致と強化が必要であると訴えた。これは、経済安全保障上のリスク回避だけでなく、医療の高度化に伴う新規モダリティの自国生産による経済成長、そして高品質な医薬品の製造拠点としての国際貢献にも繋がると述べた。 日本の医薬品市場、課題解決の最優先は「市場の魅力度向上」 日本の医薬品市場は、2016年以降、度重なる制度変更によって停滞を続けている。特に、特例拡大再算定や費用対効果評価、中間年改定といった制度は、詳細が直前に決定されることが多く、企業の投資判断を鈍らせてきた。2024年にイノベーション促進制度が導入され、革新的な新薬の価値が一部認められたものの、2025年の中間年改定など、依然として市場の予見性は低い。 この結果、日本の医薬品市場は2015年から10年間で年平均成長率がわずか0.4%と横ばい状態にある。これは、他の先進国が年平均5%から8%で成長している現状と比較すると著しく低く、市場の魅力度向上が喫緊の課題となっている。 宮柱氏は、「日本市場の魅力度を高める」ことを最優先事項に挙げ、その実現には、革新的な医薬品の価値を適切に評価し、特許期間中にその価値を維持する薬価制度の構築が不可欠だと強調した。日本が成長する市場であることを世界に示すことが、投資を呼び込む上で極めて重要だとの認識を示している。 過去8年連続で実施されてきた薬価改定が、社会保障の自然増を医薬品価格の引き下げで賄ってきた歴史がある。これにより、日本の薬価制度は限界に達しており、根本的な原因は高齢化に伴う社会保障費のシーリングが厳しすぎることにあると製薬協は分析。このシーリングのあり方を根本的に見直すよう求めている。 さらに、昨年来議論が続く医療技術評価(HTA)のあり方についても、改めて議論を徹底するよう要望している。特に、現在のHTAモデルが日本に本当に適しているのか、また、国民皆保険制度下で一部の医薬品を保険適用から除外するような議論は、医療保険の本質的な議論を伴うべきだと強調した。 医療DX推進による効率化と質の向上 医療DXの推進が、ヘルスケアエコシステム全体の効率化と質の向上に資すると述べた。製薬企業における創薬・臨床開発・生産のスピードアップ、流通における医薬品の適時供給、医療機関での臨床効果向上と治療アクセス改善といったメリットを挙げ、限られた財源を有効活用するためにも日本の医療DXを加速させる必要性を強調した。 DXによる効率化は、企業による革新的医薬品への再投資、医療機関での負担軽減と人材育成、そして患者・国民にとっての医療体験の向上、どこに住んでいても同じ質の医療を受けられること、有事の際の医薬品の安定供給、個別化医療の実現に繋がるとした。
- 【スタートアップ】「患者さんのために」を胸に:ゼロからの開業を成功させた薬剤師・森田幸一さんの歩み
株式会社ALL EARS うさぎ薬局 代表取締役・薬剤師 森田幸一 「妻には迷惑をかけていると思いますが、それでも一緒に働いてくれているので感謝しかないですね」と話すのは、神奈川県横浜市緑区でうさぎ薬局を経営する薬剤師の森田幸一さんだ。森田さんは大学院卒業後、病院に勤務していたが、40歳の2023年 6月に独立開業した。 医療職にあこがれて薬学部に入学。大学院時代での病院研修がきっかけで、病院に勤務していたが、薬剤師としてもっと患者さんに関わりたいという思いが募り、独立することを意識するようになったという。当時は子供が3人いたことから、自分の夢と家族を守るというバランスを考えながら独立を模索していた。最初は既存の薬局で働くことを周囲の人に勧められたが、薬局の勤務経験がまったくなく、管理薬剤師として働くことができないと状況だったことから、M&Aでの薬局開業を目指したという。「個人には収益のいい案件はなかなかまわってこない」というM&A仲介会社の言葉にも負けず、とにかく自分が納得できる案件を探し続けた。「独立のことを妻に話したら、最初は反対されましたが、いろいろな案件を見せて、将来の見通しを話しているうちに、応援してくれるようになりました。子供たちの将来をつぶさないためにも失敗は絶対に許されない状況でしたので、開業するまで2~3年の時間を要しました」と森田さんは同時を振り返る。 現在、薬剤師はパートを含めて5人、医療事務2人の体制で薬局を運営している。処方箋枚数は月間約1000枚で、主応需先は小児科のクリック。「調剤報酬改定の議論の中で処方箋の集中率のことが話題になっていたので、今後集中率を下げるために方策を立てていきたいです」と話す。 近年、医薬品の供給不足が課題となっており、地域の薬局が医薬品を取りそろえるのが難しい状況だ。特に森田さんのような新規で開業した薬局は、その状況は深刻だという。「取引歴がないと、卸から断られるケースがあるので、薬局を経営している大学時代の友人に薬を譲ってもらったり、医師に状況を説明して代替薬を使ったりというふうに工夫しています」と森田先生。 外来に加えて訪問在宅も3人の患者さんを担当している。近隣のクリニックに電話をして、患者さんへの思いや薬剤師介入のメリットなどを医師に話し、現在、在宅医療に力を入れているクリニックと連携して、患者さんの療養生活をサポートしている。 「患者さんから『ここまでやってくれた薬剤師はいなかった』という言葉をいただいたとき薬局を開業してよかったと思いましたね」と話す。 今後の目標について聞くと、「タイミングが合えば2店舗目を開業したいですね。それには信頼の置ける薬剤師が必要になります。これまでも家族をはじめ、大学時代の友人、病院時代の同僚者や先輩など、たくさんの人に支えられてここまでくることができましたが、これからも人とのつながりを大切にしていきたいと思います」と森田さんは締めくくった。 取材後記 森田社長とは、うさぎ薬局の開業前の病院薬剤師時代から何度かお話しさせていただきました。悩みながらも勇気を持って開業し、まだ時間はたっていませんが、既に地域に愛される素晴らしい薬局へと成長しております。今回の取材でも、森田社長の心意気やモチベーションの原点などを感じることができました。うさぎ薬局のさらなる成長と今後の新店舗も楽しみにしております!(薬学ステップ 寺本)
- 日本薬学会第145年会シンポジウム:「2040年に生き残るための薬剤師職を考える」
シンポジウムの様子 日本薬学会第145年会シンポジウム:「2040年に生き残るための薬剤師職を考える」 3月26日から29日にかけて開催された「日本薬学会第145年会」において、金城学院大学薬学部教授の大嶋耐之氏がオーガナイザーを務める一般シンポジウム「2040年に生き残るための薬剤師職を考える」が開催された。行政、薬局、病院薬剤師、大学教員が登壇し、薬剤師を取り巻く環境変化と将来像について活発な議論が交わされた。 まず、大嶋氏はシンポジウム開催の背景として、2040年に到来する課題を提示した。具体的には、①超高齢社会のピークと医療費の増大、②医療の都市部集中と過疎化、③テクノロジーの進化による薬剤師業務の変容、④厚生労働省の予測による約10万人の薬剤師過剰の可能性、である。これらの課題に対応するため、第8次医療改革計画では、在宅医療への関与拡大、地域医療との連携強化、デジタル技術の活用などが求められていると説明した。 そして、2040年に活躍できる薬剤師像として、①薬物療法に関する深い知識と最新の医療情報に対応できる能力、②医療人としての責任感と覚悟、③生涯学習の継続、を挙げた。 上田市議会議員の飯島伴典氏は、日本の人口動態、特に生産年齢人口の減少が深刻であると指摘した。その上で、薬剤師は処方箋通りの調剤だけでなく、国民の健康な生活を確保するために、地域包括ケアシステムにおいて地域特性を把握し、医療資源や必要なサービスを見える化する必要性を述べた。また、「人生会議(アドバンス・ケア・プランニング)」への積極的な参加や、地域の課題解決に貢献するための手段としてのDX化の重要性を訴えた。さらに、2050年には人口空白地帯が増加する可能性に触れ、医療を中心としたまちづくりへの薬剤師の貢献を促した。 株式会社バシラックス代表取締役の大道一馬氏は、大手調剤薬局の経営悪化を指摘し、従来の店舗数拡大戦略のリスクを強調した。薬剤師の職域が狭まっている現状に危機感を抱き、脱処方箋、脱保険調剤の必要性を訴えた。そして、薬剤師が取るべき行動として、①専門性を高め、特定の分野に特化した薬局を目指す、②地域住民のニーズに応えられる地域に根ざした薬局を目指す、③DXやAIを活用し、業務効率化や新たなサービス提供に取り組む、④オンライン薬局との差別化を図り、独自の価値を提供する、ことを挙げ、「特色ある薬局をつくれば、生き残っていける」と強調した。 聖マリアンナ医科大学病院薬剤部の前田幹広氏は、AIが進化する中で、定型業務は代替される可能性が高い一方、臨床判断能力、コミュニケーション能力、倫理観、プロフェッショナリズムはAIには代替できない重要なスキルであると述べた。特に、薬の開始や調節、中止などの臨床判断や、多職種と連携する上でのコミュニケーション能力の重要性を指摘した。AIを活用して効率的に情報を収集・分析し、得られた時間を患者とのコミュニケーションや臨床判断にあてることで、より質の高い医療を提供できると提言した。 熊本大学生命資源研究・支援センターの竹尾透氏は、未来の薬剤師育成における大学の役割として、高度な専門知識と研究能力を備えた薬剤師の育成を挙げた。そして、大学だけでなく、病院、薬局、企業、行政といった薬学教育に関わるプレイヤーが連携し、学生の実践的な学びを支援することの重要性を強調した。最後に、薬剤師の未来は明るいと述べ、学生たちが夢を語り合い、行動することで、新たな未来を切り開いていけるとエールを送った。 シンポジウムの締めくくりとして、大嶋氏は「薬剤師教育、受け入れ体制、そして薬剤師自身の学び方や行動変容の重要性が浮き彫りになった。行動こそが未来を拓く鍵」と述べ、それぞれの立場で具体的な行動を起こすことの重要性を強調した。また、未来の薬剤師像を模索し、行動を促すための新たな組織「 Be Reborn Pharmacist Council 」の発足を発表し、「学生を主体とした討論会を積極的に開催し、未来の薬剤師像について議論を深めたい」と意気込みを語った。 展示会場で開催されていた日本病院薬剤師会と日本薬科機器協会が主催したリクルートコーナー。30の病院と団体が参加した。また27日には、学生を対象にしたワークショップを開催し、病院薬剤師の業務や専門薬剤師の魅力を紹介した。
- 2024年度薬学生ジャンボリーを終えて
(一社)日本薬学生連盟は 2024 年 10 月に関東、東海、関西の 3 地域にて薬学生ジャンボリーを開催しました。通称「薬ジャム」と呼ばれる毎年恒例の本イベントは、各地域の薬学生が一堂に会する特別なイベントとして皆に親しまれてきました。地域によっても少しずつ異なる雰囲気や薬学生の様子をお伝えできれば幸いです。(広報統括理事 大阪医科薬科大学3年生 塚本有咲) イベント内容について はじめに日本薬学生連盟について知ってもらえるよう、団体の魅力や各部署で行っている活動について紹介しました。 次にアイスブレイクとして、チーム対抗のペーパータワーゲームを行い、紙(折り曲げることのみ可能)を使用していかに高いタワーを作ることができるかを競い合いました。それまで少し緊張していた場が、一気にほぐれていくのが感じられました。 そしてついに本イベントのメイン企画である、ワークショップ~薬膳ジンジャーエールを作ってみよう~では、材料に使用される生薬について、またそれらの薬学との関わりについて学びながら皆で協力しておいしい薬膳ジンジャーエールを作りました。 地域ごとに紹介! 《関東》 3地域の中では最も多く人が集まり、とてもにぎやかでした。 班ごとに分かれて行ったアイスブレイクでは、より高く積める方法を各々が考え、互いにアイデアを出し合うことで初対面の参加者同士でも気楽に交流することができました。時間が経過するにつれてどの班からも独特の工夫が生まれ、クオリティーの高いタワーが出来上がっていました。 ワークショップでは、新たな班ごとに分かれて役割分担をし、薬膳ジンジャーエールを作りました。ショウガをより細かく刻むことで成分が抽出されやすくするといった試行錯誤を重ね、皆で協力しておいしいジンジャーエールを作ることができました。関連する生薬についてのクイズや勉強会も行われ、参加者の学びを広げる機会にもなりました。異なる班同士でジンジャーエールの飲み比べをすることで、班を超えて交流の輪を広げ、多くの参加者と仲良くなることができました。 《東海》 皆で協力して作ったジンジャーエール 普段から団体での活動を共に行っている仲間同士の集まりとなったため、アットホームな雰囲気でたくさんの話に花が咲きました。皆と対面で会った久しぶりの機会なので、特に地域や学校、団体などの身近な共通の話題で盛り上がり、これまで以上に仲間のことを知って、地域メンバー間での結束力を高めることができたと感じました。 おいしいジンジャーエールを作った後、見栄えにもこだわったレモントッピング選手権が独自に開催されたりと、皆で和気あいあいとした時間を共有しました。 イベント後には懇親会も行われ、話し足りなかったことや互いの近況について、参加者同士で楽しくおしゃべりをしました。 《関西》 参加者が少人数だったため、急遽内容を変更し、会話型ゲームであるマーダーミステリーを行いました。このゲームで与えられたシナリオには決まった結末がなく、ゲームクリアのためには相手の持つ情報をうまく聞き出す必要があります。また自分が勝利するためには、ストーリーがどのような結論となる方向に会話をもっていけば良いのかをたくさん考えなければなりません。頭をフル回転させて真剣に挑み、ディスカッションを重ねて問題解決への糸口を見つけた際には、本当にうれしくて皆で盛り上がりました。 参加者の学年は全員バラバラですが、今回のイベントを通してより仲を深め、互いの新しい一面を知ることができました。こんなにゆったりと同じ時間を共にできることは普段なかなかないので、とても楽しい時間を過ごせました。 参加者の皆さんが感じたこと ・初めて参加しましたがとても良い雰囲気で、普段あまり話す機会のない方々と大学や学年の枠を超えて楽しく交流ができました。 ・対面イベントならではの楽しさがありました。皆さんあたたかく話しかけてくださり、とても居心地がよかったです。 ・薬学の知識と関連したイベントでとても勉強になりました。 ・団体の興味深い活動についてたくさん知ることができました。
- 能登半島地震、その時薬剤師はどう動いたか②
クオール薬局 「医療の継続」を最優先に。 安心・安全な医療を提供するために避難所に仮設店舗を開設したクオールの取り組み クオール株式会社 中部薬局事業本部 中部第一事業部 事業部長の河野さん ―能登半島にあるクオールグループの薬局が被災されましたが、最初にどのような対応をされましたか。 河野誠司(以下河野):人命と安全を最優先に行動しました。クオールグループでは、有事に備え、レスキューナウというシステムを使って、年4回訓練を行っています。地震発生後、エリアにいる全従業員の携帯端末に安否確認のためのメールが送られ、それに対して従業員が返信するというものです。能登半島地震発生後は、中部エリアの約400人の従業員に対して安否確認のメールが送信され、2時間以内に8割の方から返信がきました。電波状況が悪い地域では、公衆電話を使って連絡する人もいました。また、内定者の住所を調べて北陸エリアに住んでいる方にも安否確認のメールをしています。 1月2日の9時、東京本社に緊急対策室を立ち上げて、クール社長の柄澤はじめ、クオールホールディングスの常務も参加した緊急対策会議を開催し、今後の方針が決められました。中部エリアの従業員全員と連絡がとることができたものの、地震の影響でネットワークが安定していなかったことから、現地のスタッフとは1回は連絡がついても、その後は取れないというケースもあったので、すぐに現地へ駆け付けることとなりました。 被災にあったクオール能登町薬局 ―何店舗の薬局が被災されたのでしょうか。 河野:能登半島には、グループ会社を合め3店舗あります。一番被害が大きかったのは、能登町松波にあるクオール能登町薬局(以下、能登町薬局)でした。能登町薬局は海岸近くにあり、外壁には80センチの波が押し寄せ、その影響で店内も30センチほどの床上浸水がありました。そのほかに被害のあった店舗は北陸クオールの宇出津らいふ薬局(能登町宇出津)と七尾らいふ薬局(七尾市)です。建物が損壊し、停電、断水に加え、医薬品等が店内に散乱していることなどにより、3店舗が営業できない状況でした。 ―支援に向かったのはいつからですか。 河野:対策本部では、派遣メンバーを募り、3日には薬剤師7人を合む合計11人の本社スタッフを派遣しました。初期の頃は、拠点を富山の店舗とし、副社長の清水が指揮を執り、交代で人員や物資を運ぶ体制をとりました。私も中部薬局事業部責任者としてすぐにでも富山に行きたかったのですが、副社長が行くことが事前に分かっていたため、名古屋から福井、石川の店舗の状況を確認してから4日に富山に入り、5日に一番被害の大きかった能登町薬局に向かいました。この地区は能登町薬局が唯一の薬局でした。副社長は、医療を継続したいという思いで、避難所に指定されていた松波中学校の校長先生に仮設薬局の開設を打診し、これが後の仮設店舗の開設につながったのです。 応援部隊の拠点となった富山の店舗 ―河野さんが穣災地tこ行くまで薬局長はどう過ごしていたのですか。 体育館の掲示板に薬剤師が避難所にいる時間帯を明記 河野:地震発生後、避難所に行ってその夜は草中泊したそうです。2日には、患者さまのことが心配になり避難所に行くと、いろいろな相談を受けるんですね。はじめはOTC医薬品で対応していたのですが、3日からは処方薬の相談が増えました。震災時は、お薬手帳等で処方内容が確認できれば、調剤できるので、それにならって対応していました。ただ薬は薬局にしかありません。いつ大きな余震が起こるか分からない状況です。でも薬局長は目の前の患者さまをサポートすることを優先し、細心の注意を払って店内に散乱している医薬品の中から使えるものを探して渡していました。地震が起こったのは、1日だったため、店舗スタッフ(薬剤師、医療事務)は、薬局長を除き帰省してい たので、私たちが応援にかけつけるまで1人で対応していました。 避難所の様子 5日からは私も薬局長と一緒に避難所を回っていたのですが、患者さまと話している姿はとでも頼もしかったです。相談を受けていると、「次は私にお願い」というような声が多かったですね。ただ相談を受けてから、その都度薬局に医薬品を探しに行くというように不規則な流れで取り組んでいました。多くの患者さまに対応するために、体育館の掲示板に薬剤師のいる時間をあらかじめ提示し、避難所にいる時間と薬局にいる時間を明確にしました。 私と統括主任は、次の応援部隊が来る9日まで、スタッフのアパートに宿泊しながらサポートしていました。長く滞在していると、曜日感覚がなくなります。このまま続けていると、薬局長がつぶれてしようのではないかと思い、7日には心身ともにリフレッシュしてもらうために、金沢に行ってもらいました。被災地に戻ってからも2週間に1回3連休取ってもらっています。 ―患者さまの状況を確認するのはお薬手帳だけだったのでしようか。 河野:能登半島では、昨年も大地震があったため、薬局長は地震の揺れによリパソコンやサーバーなどが破損しないようにしていました。そのおかげで4日にレセコンメーカーさんが駆けつけてくださって、バックアップを取ることができました。そこでようやく処方薬の履歴が確認できるようになったのです。 ―仮設店舗はいつ開設したのでしようか。 松波中学校に設けられた仮設店舗 河野:10日には、宇出津らいふ薬局と七尾らいふ薬局は営業を再開できたのですが、能登町薬局は復旧の目途が立たない状況でした。クオールとしては「医療の継続」を最優先に安心・安全な医療を提供するために、避難所である松波中学校に仮設店舗を開設し営業を再開しました。5日には仮設店舗の部屋が決められ、1週間かけて使えるものを選別して持ち込みました。医薬品の仕分けが主な作業で、崩れた調剤棚から使える医薬品を取り出し、五十音順に箱に詰めていきます。東日本大震災を経験した薬剤師が主体的に動いてくれたのでスムーズにできました。また、業者さんもサポートしてくださり、感謝しかありません。仮設店舗で営業を開始したのは13日です。 開局時間は、平日は9時から15時(土曜日は9時から12時)で、午前中に処方箋を受け付け、午後に調剤という流れにしました。できるだけ遅い時間まで開局したかったのですが、夕方になると暗くなるため、道が悪い状況の中でも安全に応援部隊が宿泊地に戻れる時間を考慮して閉店時間を決めました。最初の頃は、宿泊地から能登町までは車で片道4時間くらいかかりました。また、「なるべく薬剤師に負担をかけないように」とホールディングス社長の中村から指示がありましたので、ドライパーは非薬剤師が担当しました。2月中旬からは能登町から1キロほどのところに宿泊地を確保することができましたので、現在は薬剤師が運転しています。3月4日力うらは17時まで営業しています。 仮設店舗ですので、通常の店舗と同じように調剤ができないこともあります。一包化はできますが、粉砕機がなかった時期は、紙に包んで手でつぶしてください、というように患者さまに身振り手振りで指導することもありました。処方箋は1日に多い時で70枚、平均すると40枚くらいです。 最初の頃は4日勤務して交代というシフトを組んでいましたが、2月からは1週間勤務して交代という体制にしました。応援者は延べ50人くらいです(3月1日時点)。現地のスタッフも被災しているので、状況をみながら人の配置も通常の体制に移行していきたいと考えています。3月中旬には仮設店舗を引き払って薬局に戻る予定です。 ―震災での心構えを教えてください。 河野:責任ある立場の人はスタッフの安否や店舗の状況を把握することです。それ以外の人は、上司に自分の状況を連絡することです。いざというときにできるように、定期的に訓練することが重要だと思います。また薬局の備えを忘れてはいけません。食料や水、バッテリーのストックはもちろんのこと、レセコンや調剤機器などが破損しないように工夫することも必要です。 それから忘れてはいけないのが心のケアです。現地のスタッフを含めた被災者はもちろんのこと、応援者に対しても同様にしてほしいと思います。 ―薬学生ヘメッセージをお願いします。 河野:災害医療に関わることがあれば、患者さまファーストという気持ちをブレずに持ち続けてほしいと思います。被災地での活動は想像以上に過酷です。つらい状況が続くと自己中心的な考えに陥ることがあるかもしれませんが、自分が何のために被災地に来たのかということを忘れずに活動してはしいと思います。
- 学会・学術大会に行ってきました!
研究者が自身の研究成果を発表し、その妥当性を検討・論議する学会や、同じ関心事を持つ人たちが集って最新の知識を得たり、意見交換を行ったりする学術大会。主な参加者は研究者や薬剤師であるが、大学院や研究機関の道を目指すため、最新の知見を得たり、臨床現場の実態を把握したりするために参加する学生も少なくない。ここでは学会等に参加した学生に、参加した目的や感想などを聞いた。 愛知学院大学3年 佐藤大歩(さとう だいほ) 佐藤さん ■参加した学会について 日本薬剤師会学術大会は「将来の可能性を広げ、自分の未来を彩るきっかけをくれる場所Jこのような気持ちが芽生えた2日間でした。私が参加したきっかけは2日目に開催された薬学生シンポジタムの企画担当責任者を務めるためでしたが、大変多くの学びを得ることができました。災害医療を取り上げた今回のイベントは、薬学生が主体的ではあったものの、学術大会の参加経験が乏しい私はご参加いただいた薬学生と社会人薬剤師の多さに目を見開き、会場の雰囲気には圧倒されていました。 ■参加して気づいたことは? 大変多くの分科会、ポスターセッション、ランションセミナーなどに足を踏み込んだだけでも、「今の医療や技術はここまで進んでいるのか」と果気に取られ、「自分はまだまだ何も知らない」のだと大学で勉強をする意味をあらためて見いだすことができました。自分からさまざまな場所に赴き、多くの社会人の方々にお話を伺うなかで気が付くと緊張は消え、薬学生も社会人の方もそれぞれの思いが学術大会には集まっていたことに気づきました。 ■今後の目標は? 今回の経験を糧に、自分らしく薬剤師として活躍で薬学生シンポジウムに関わった方々ときるよう、これからも精進していきたいと思います。 ■後輩に伝えたいこと 「薬剤師の職能は学生が思っている以上に深く自由なのだ」と、参加したことのない後輩や学校の友人にそう伝えたいです。 薬学生シンポジウムに関わった方々と 慶應義塾大学6年 宮澤みなみ(みやざわ みなみ) 宮澤さん(左から2番目) ■参加した学会について 3年次に先輩に誘われて、当時コロナ禍でオンライン開催だった日本医療薬学会年会を聴講し、臨床現場で活躍するたくさんの“スーバー薬剤師"の発表を聞いて、カンコイイ!私もこうなりたい1と大興奮したのがきっかけで興味のある分野の学会に積極的に参加するようになりました。 今回の日本薬剤師会学術大会では日本の薬局薬剤師の活躍の幅を知るとともに、日本薬学生連盟に薬学生企画の依頼が来たということで、本企画をきっかけにもっと多くの薬学生に学会に足を運んでもらい、私が経験したような感動を味わってもらいたいとの思いで運営として参加しました。 ■ 気になった研究、発表は? 私が特に印象に残ったのは腎臓病薬物療法認定薬剤師を持つ薬局薬剤師の先生の講演です。処方箋への臨床検査値の記載が少しずつ進んではいるものの、全ての医療機関で記斎売されているわけではなく、腎機能の把握が難しかったり院内処方であったり、患者が複数の薬局を利用していたりとさまざまな要因で腎機能に応じた用量調節がなされないケースも少なくありません。そんな中、近隣医療機関に腎機能検査値の記載をお願いしたり、そこで得たデータをおくすり手帳に記章交し他の薬局に共有したり、院内処方の処方元に問い合わせて次回からの減量を提案したりと、情報が足りないなら自分で取り1こ行く、さらにそれを周囲に共有するという安全な薬物治療の提供を目指した積極的な姿勢に感動しました。 ■今後の目標は? 私は来年度から博士課程に進学し週末は薬局薬剤師として働く予定ですが、研究でも臨床でも壁にぶつかった時は言い訳をせず、どうしたらできるかを考え続ける姿勢を忘れないようにしたいです。 日本薬学生連盟が企画した「薬学生シンポジウム」の様子。災害医療をテーマに、現場の薬剤師とグループワークをして薬剤師のあり方について考えた。 帝京平成大学6年 上山彩葵(かみやま さき) 今回の発表で優秀賞を受賞した上山さん ■参加した学会について 日本地域薬局学会年会に参加することで、ポスター発表を行い卒業研究の成果を発表すること、地域における薬剤師の役割を学ぶこと、実際の医療現場での課題や解決策について理解することを目的としました。 ■気になった研究、発表は? 特に気になったのは、「薬局薬剤師ができる地域住民のための健康管理」についての発表です。エクオーノレは女性に使用されることが一般的ですが、男性の関節痛に対する使用症例が紹介されており、とでも興味深かったです。実際の医療現場での使用方法や治療効果を知ることができ、勉強になりました。 ■研究者や薬剤師とどんな話をしましたか? 地域で行われている薬剤師の活動についてや、薬局での取り組みについて多くの話を伺いました。特に、若年者に対する薬物治療や栄養療法、認知症に関する教育活動についての話が印象的でした。どのようにして若年者にこれらの重要な知識を普及させるか、具体的な取り組みや成功事例を共有していただくことができました。 ■参加して将来の進路に変化はありましたか? 学会に参加することで、私の将来の進路に対する考えがさらに明確になりました。私は将来、病院薬剤師として医療に関わりたいと考えています。このため、病院薬剤師が地域医療とどのように関わっていけるのかを深く考えるきっかけとなりました。病院内での役割だけでなく、地域との連携や協力の重要性を再認識しました。 ■今後の目標は? 指導教官の井手口直子先生(左)上山さん) 今回の学会参加を機に、薬剤師国家試験に向けての勉強に一層励み、将来臨床で使える知識を身につけることが目標です。学会で得た新しい知識や視点を生かし、実際の医療現場で役立つ薬剤師になるために努力していきたいと考えています。 ■後輩に伝えたいこと 後輩には、学会に積極的に参加することを勧めたいです。学会に参加することで、実際の医療現場の状況を学ぶことができ、理論だけでは得られない貴重な経験を積むことができました。また、自分の研究を発表し、多くの方々からフィードバックを得ることで、自分の成長につながると感じました。 東京薬科大学4年 小山内天音(おさない あまね) 小山内さ ■参加した学会について 私は、薬学部2年生の時に初めて、仙台にて開催された「第55回日本薬剤師会学術大会」に参加しました。多くのシンポジウムに参加することで、現代社会における薬局の問題等を学び、実際に薬剤師として働かれている方々のお話もお聞きすることができました。このような経験から、視野を広げることができたと感じています。 今回参加した「第57回日本薬剤師会学術大会」では参加者としてだけでなく「薬学生シンポジフム薬学生の未来に彩りを~災害医療から考える薬剤師のあり方~Jの運営側という立場としても参加しました。もっと薬学生が気軽に学会に参加してほしい、という思いから薬学生シンポジラムの企画運営に携わり、約半年間作り上げてきたシンポジウムを無事開催することができ、心からうれしく思っています。 ■ 研究者や薬剤師とどんな話をしましたか? 多くのポスターや展示を拝見し自ら積極的に質問をすることで、より多くの企業について知ることができました。 会場前にて ■ 今後の目標は? 将来は、製薬企業の創薬に貢献し、一人でも多くの患者さんを救いたいと考えています。そのため、現在は就活と研究を両立させながら、研究の成果を学会で発表することが目標です。 ■ 後輩に伝えたいこと 視野を広く持ち、社会で貢献できるような人材となるためには、自らさまざまなことに挑戦し、経験することが必要不可欠です。私は、全国の薬学生と交流できるような団体の運営やオーケストラでの活動を通して、自分を成長させることができたと感じています。 低学年の方は、視野を広げるためにもまず、さまざまなことに「挑戦」してみてください。学会に足を運ぶのもその一つだと思います。きっと、自分が興味あること'やりたいと思えることに出会えるはずです。 東京薬科大学博士課程2年 千明大悟(ちあき だいご) 千明さん ■参加した学会について 日本分析化学会第73年会に参加することで、ポスター発表を行い同じ研究分野の研究者に聴いていただき、意見交換すること、自身の研究に関係せずとも最新の研究内容や分野を知り、発表者と直接話をすることでより詳細な情報を学ぶことを目的としました。 ■ 気になった研究、発表は? 特に気になったのは、リポソームを用いて実際の細胞の分極状態などを再現する実験についての発表です。細胞の模倣を目指す実験は私も行っており、使用していた試薬も似たものがあったため、とても興味深かったです。DDSの分野だけでなく、人工細胞とし てリポソームが使用されていく研究がさらに深化することを期待しています。 ■研究者や薬剤師とどんな話をしましたか? 企業の研究者と話をする時間が多かったですと特に私の研究の今後の展望や産業利用についてディスカッションを行いました。また、似た研究を行っている研究者と、この分野の課題や苦労する手技、それに対する互いの工夫点などを意見交換することができました。 ■参加して将来の進路に変化はありましたか? 学会に参加することで、私の将来の進路に対する考えがさらに明確になりました。私は将来、企業に就職し、研究を通して培った技術を生かしたいと考えます。自身の研究分野がどのような企業に必要とされているのか、似た研究を行っている企業はどこかなどに興味が湧きました。 ■ 今後の目標は? 企業に就職して役に立てるよう、自身の研究の専門性高めるとともに、さまざまな研究に触れ、幅広い知識を身につけたいと考えます。 学会に参加したことでその後も交流が続く仲間ができたという。 ■後輩に伝えたいこと 後輩には、学会に積極的に参加することを勧めたいです。学会に参加することで、たくさんの研究成果をコンパクトに聞くことができます。しっかり理解することは難しいかもしれませんが、どのような研究分野があるかなど雰囲気を味わうことはできます。自身の 研究をポスターやスライドにまとめ声に出して発表することで、さらに理解が深まります。また、多くの方々とディスカッションをすることで、自分の成長につながると感じました。 東京薬科大学博士課程2年 中村好花(なかむらこのか) 国際学会で賞を受賞した中村さん(右) ■参加した学会について 大学で毎日研究をしていく中で、研究室内という狭い視野にとらわれていると感じていました。そこで、学会に参加することによって新たな知見を得ることができるのではないかと考え、参加を決意しました。 ■気になった研究、発表は? 経営学の観点から「開発」や「イノベーション」について切り込んでいた発表が強く印象に残っています。このような異分野の方の発表を聞くことができる機会があるのも学会の醍醐味であると感じました。 ■研究者や薬剤師とどんな話をしましたか? 薬学部を卒業して研究者となった方に学生時代にどのようなことを考えて研究をしていたのかという話を伺いました。学生時代の過ごし方は無限であるからこそ、一つの考えを聞く意義を実感しました。アドバイスもしてくださり、とても頼もしかったのを覚えています。 ■参加して将来の進路に変化はありましたか? 国際学会参加が世界に目を向けるきっかけとなりました。外国の方に向けて発表や質問をすることによって、研究は世界中の人が行っているのだと実感じました。将来は海外で活躍する研究者になりたいと強く感じました。 ■ 今後の目標は? 学会会場の部屋から見た富士山と海の風景 学会発表を通じて自身の研究内容についてだけでなく発表方法についても多くの課題を見いだしました。この課題を糧にして、研究者としてさらに成長できるようにしていきたいです。また、国際学会へのさらなる参加を目標とし、広い視野で研究を進めることによって自身の研究の新たな可能性を探求したいと考えています。 ■ 後輩に伝えたいこと 「研究内容について知識がない」「質疑応答に自信がない」などと不安になって一歩を踏み出せない方もいらっしゃると思います。しかし、自分の発表を面白く伝える気持ちと学びの姿勢があれば十分です。学会での経験は決して無駄にはなりません。ぜひ挑戦してみてください。応援しています。 東京薬科大学6年 畠山慶悟(はたやま けいご) 畠山さん ■参加した学会について 日本英学会、分析化学討論会に参加することで、ポスター発表を行い、卒業研究の成果を第三者に発表しすることを目的としました。また、他学部の学生の取り組んでいる研究を学ぶことで今後の自身の研究ヘの糧とすることを目的としました。 ■気になった研究、発表は? 「研究を遠隔で行うための遠隔シスズムの構築」についての発表に興味をもちました。病院実習での経験で医療現場はいまだアナログな部分が多くあることを実感していました。しかし、学会で上記のような研究内容が発表されていることから近い将来、医療現場でのデジタ′レ改革が実現され、昨今の医療現場での人材不足の課題の解決にもつながると期待しています。 ■研究者や薬剤師とどんな話をしましたか? 自身の行っている研究が今後どのように社会に貢献していくのかという内容について議論を交わしました。当初は研究内容について理解が追い付かない部分もありましたが、お話をしたことで将来このようになったらいいな、そのためにこの研究が行われているという長期的な目線からの研究へのアプローチが可能となり、より理解を深めることができたと思います。 ■参加して将来の進路に変化はありましたか? 学会に参加したことによる将来の進路の変化は特にありませんでした。ですが、臨床現場、大学、企業それぞれの立場の方々が研究を発表している学会に参加したことで医療への貢献は1つの立場ではなく複数の立場から実現していることを強く認識しました。 学会会場前にて ■今後の目標は? 薬剤師国家試験に向け勉学に励み、学生生活の集大成として薬剤師免許の取得が現在の目標です。そして学会、実習で得た経験を生かし、将来は製薬企業の立場から医療に貢献できる人材になりたいと考えています。 ■後輩に伝えたいこと 学会への積極的な参加を勧めたいと思います。自身が打ち込んできた研究内容を第三者に簡潔に説明すること、多くの方々と議論を交わすことは研究室内では得られない経験ばかりです、また、この経験は学生に留まらず、将来の社会人としての成長にもつながると考えています。 東京薬科大学博士課程2年 北谷菜津美(みたや なつみ) 北谷さん ■参加した学会について 自身の研究成果を発表するために学会に参加しました。発表を通じて、異なる分野の研究者に対して自分の研究内容を簡潔かつ明瞭に伝えるためのプレゼンテーションスキアンを磨くことを目指しています。また、質疑応答の際には、他の研究者と建設的に議論を交わすためのコミュニケーションスキノレを向上させています。 ■気になった研究、発表は? バイオ界面の分析化学に関するシンポジタムでの発表は、非常に興味深いものでした。特に、界面における水分子の動態に関する発表が印象的であり、自身の研究を進めるうえで大変参考になりました。発表内容を通して、界面での分子の挙動やその影響を理解することができ、自分の研究に新たな視点を取り入れるヒントを得ることができました。 ■研究者や薬剤師とどんな話をしましたか? アカデミアの研究者とは、主に自身の研究に関する議論を交わし、研究を進めるうえでの課題や悩みについて助言をいただくことが多いです。その助言を通じて、研究の進行に役立つ新たな視点や方法を学ぶ機会となっています。また、企業の研究者とは、なぜ企業を選び、どのような目標を持って研究に取り組んでいるのかについて話を伺いました。彼らの話から、企業での研究の目的やアプローチ、実践的な成果に向けた取り組みの姿勢について理解を深めました。 ■参加して将来の進路に変化はありましたか? 学会に参加する前は、薬局薬剤師や病院葵剤師の具体的な役割や活躍の場については理解していましたが、研究者がどのように活躍しているのかについては、あまり明確なイメージがありませんでした。しかし、学会に参加してさまざまな分野の研究者とお話をさせていただくことで、研究者としてどのように社会に貢献できるのかを具体的にイメージできるようになりました。 ■今後の目標は? 多様な視点を持つ研究者と交流を深めることで、一つの事象に対してさまざまな角度から考える力を養うことを目標としています。そのためには、自分の発表で受けた質疑応答を丁寧に振り返り、研究の理解を深めるだけでなく、関連する分野の研究発表にも積極的に参加して学びを広げたいです。 ■後輩に伝えたいこと 学会に参加することで得られる多くのスキルは、研究に限らずどの職業にも生かすことのできる「トランスファラブルスキル」として役立ちます。例えば、プレゼンテーションスキル、コミュニケーションスキル、時間管理能力などは、どの職業においても重要です。単位取得のためだけではなく、自分自身のスキルアップのために学会発表を経験してほしいと思います。 東京薬科大学博士課程1年 北爪颯(きたづめ はやて) 後列左から2番目が北爪さん。前列右から、東海林 敦先生と森岡和大先生 ■ 参加した学会について 学会に参加することで、ポスター作製の技術やプレゼンテーション能力を高めたいと思い、参加しました。また、他の研究発表を聞くことで、発表の仕方を学んだり、自分の知らないことを吸収したいと考えたからです。 ■気になった研究、発表は? 特に興味をひかれたのは、紙のマイクロ流体デバイスを用いた工場の廃棄溶液の分析のデバイスについての発表です。紙マイクロデバイスの研究を私たちの研究室でも行っており、実際の現場での利用を意識した研究が非常に興味深かったからです。 ■研究者や薬剤師とどんな話をしましたか? 他の研究者の方々とは、自分の研究に関することについての議論や就職についての話をすることが多いです。 ■参加して将来の進路に変化はありましたか? 私の将来の進路に対する考えは変わらず研究者になりたいと考えています。特に多くの研究発表を聞く中で、基盤研究の重要性をあらためて感じました。社会の問題を解決するためにも新しい分析法などの基礎研究を行いたいと考えています。 学会でポスター賞を受賞した。 ■今後の目標は? 今回の学会参加を機に、自分の発表にはまだまだ改善すべきことが多いことを実感しました。今後はこれらの課題を克服し、より多くの人の興味をひくような発表ができるようになりたいと思っています。 ■後輩に伝えたいこと 後輩には、学会に積極的に参加することを勧めたいです。学会に参加することで、初対面の人とのコミュニケーション能力が向上し、人の発表を聞いて質問することで考察力も養われます。これらは普段の研究でも得られますが、学会発表では普段以上に経験することができると考えています。 東邦大学3年 秋本さくら(あきもと さくら) 秋本さん ■ 参加した学会について 日本薬局学会学術総会に参加することで、薬局の方がどんな問題に取り組んでいるのかを知り、実際の現場でどのような課題や解決策があるのか学ぶことです。 ■ 気になった研究、発表は? 特に気になったのは、「精神科医療における薬局薬剤師の対人業務を考える」についての発表です。患者さんとの会話の仕方にガイドラインが作成されていることを初めて知り、さまざまな状況で薬剤師としてどのような対応をすべきなのかを考えることができて印象に残りました。 ■ 参加して将来の進路に変化はありましたか? 薬局での薬剤師の姿や役割等について多くの方が真剣に学ばれているのを見て、薬剤師になってからもたくさん勉強をし続けていくことを実感しました。私は将来、薬系技官(厚生労働省)を目指しているのですが、現場の薬剤師の方がどんな患者さんや課題と向き合っているのかを常に理解していたいなと思いました。 ■ 今後の目標は? 将来のために試験に向けて勉強をしながらヽ、自分の興味ややりたいことを大切にしながら大学外での活動にも挑戦し続けていこうと思います。今回学術大会に参加させていただいたように、新しい情報に触れたりさまざまな経験を積んでいきたいです。 ■ 後輩に伝えたいこと ぜひ一度学会や学術大会に参加してみてほしいです。大学では学べないことをたくさん知ることができ、また積極的に活動している薬剤師の方々を近くで見られるので、とても良い刺激を受けることができると思います。敷居が高く感じるかもしれませんが、意外とそんなこともなく自身が何をしたいのかを考えるきっかけにもなるのではないでしょうか。 日本薬科大学4年 柴田冴理(しばた さえり) 学会では多くの研究者や薬剤師と意見交換した柴田さん(右) ■参加した学会について 昨年、和歌山で開催された日本薬剤師会学術大会に参加した際、地域医療や薬剤師の役割について多くの学びを得ました。その経験から、今回、埼玉で開催された大会でもさらに深い知識を得たいと考えました。特に、地域包括ケアシステムにおける薬剤師の具体的な役割や、最新の医療現場の課題について学び、自分の将来像を明確にすることを目的に参加しました。 ■気になった研究、発表は? 日本薬剤師会会長の岩月進先生が語られた「自助・互助・共助・公助」の考え方が心に残りました。地域社会の中で薬剤師が果たすべき役割を、住民に分かりやす「見える形」にすることの大切さに気づかされました。薬局が単に医薬品を提供する場所ではなく、地域の健康を支える基盤であることをどう示していくか、具体例を交えた先生の講演から多くの示唆を得ました。 ■研究者や薬剤師とどんな話をしましたか? 学会では多くの研究者や薬剤師の方々と意見交換をする中で、地域医療や災害医療の課題とその解決策について深く話す機会がありました。岩月先生の講演を踏まえ、「地域で薬局の存在をどう分かりやすく示すか」というテーマで、具体的な取り組みや工夫について議論しました。特に、災害時には避難所で薬剤師がどのような役割を担うべきか、避難所の環境改善や被災者の健康維持に向けた実例を教えていただき、大きな学びとなりました。 ■参加して将来の進路に変化はありましたか? 学術大会で得た学びは、将来の進路をさらに明確にするきっかけとなりました。災害時や地域包括ケアにおける薬剤師の役割を考える中で、自分は医療の現場だけでなく、地拗社会における貢献にも力を入れていきたいと感じました。特に、地域医療と薬局の連携を深める取り組みに携わりたいという気持ちが強まりました。 ■今後の目標は? 5年生になると現場実習が始まります。そのため、今回の学術大会で得た知識や視点を基に、実習でさらに理解を深め、臨床や地域医療で役立つ知識を確実に身につけたいと考えています。 ■後輩に伝えたいこと 学術大会に参加することは、自分の視野を広げ、成長するための大きなチャンスです。発表を通じて、現場の薬剤師や研究者から 直接ノイードバックを得られるのは、とても貴重な経験でした。後輩の皆さんには、ぜひ積極的に学会に参加し、現場での実践につながる知識を吸収してはしいです。 北里大学4年 久住直之(くすみ なおゆき) 久住さん(右)と竹中さん ■参加した学会について 医療業界が直面する最新の課題を学ぶこと、普段会えない方々と直接話すことも目的としました。(日本薬剤師会学術大会) ■ 気になった研究、発表は? 「地域の健康増進とセノンフメディケーション推進ヘの薬剤師の関与」では、震災と感染症対策の同時推進が強調されていた点が印象に残りました。後発医薬品の供給問題については、薬局が「医薬品の拠点」としての役割を取り戻す必要性を再認識しました。学生シンポジウムでは運営の一人として関わることができたことも大きな経験となりました。 ■研究者や薬剤師とどんな話をしましたか? オンライン上で知り合った薬学部5年生と、リアルで初めて会い、実習の楽しさなどについて話を聞くことができました。さらに、薬局アワードを運営する竹中孝行先生から、人間関係の育み方について経営者目線での考えを伺いました。懇親会では、日本薬剤師会の岩月進会長とお話する機会があり、AIの進展によって薬剤師の役割がどのように変わるかについても伺うことができました。 ■参加して将来の進路に変化はありましたか? 学会を通じて、現場の薬剤師として変革することには限界があると感じ、医療業界を支援する企業で働きたいと考えるようになりました。 学生シンポジウムの運営に携わった久住さん ■今後の目標は? 医療業界が抱える長期的かつ複雑な課題をより深く理解し、具体的な解決策を見いだすために学びを続けていきたいです。今、医療業界は変革期を迎えていると思うので、その流れに遅れないよう努力していきたいと考えています。 ■後輩に伝えたいこと 分科会での内容が分からなくても心配いりません。それが普通です。臆せずに社会人と話してくださいI!皆さん親切で、いろいろな人たちと話す中で多くの経験や視点を学ぶことができるはずです。
- 能登半島地震、その時薬剤師はどう動いたか①
1月1日16時頃、石川県の能登半島で発生したマグニチュードフ.6の大地震。 最大震度7の激しい揺れを観測し、津波も発生した。多くの尊い人命が奪われるとともに、社会インフラが破壊され、地域社会が崩壊するような壊滅的な被害が生じた。地震発生翌日には各地から派遣されたDMAT(災害派遣医療チーム)が救護にあたり、岐阜県や神奈川県などから派遣されたモバイルフアーマシー(災害対策医薬品供給車両)が調剤にあたり、さらには被災地に駆けつけた薬剤師が医薬品集積所や医療救護所などで医療支援を行っている。ここでは現地で災害医療支援に従事された薬剤師にお話を伺い、災害医療における薬剤師の役割を聞いた。 横浜薬科大学 モバイルファーマンーを出動し、災害医療活動に従事する 左から長嶋さん、金田さん、鈴木さん ―能登半島地震が発生後、横浜薬科大学では、有志の職員(薬剤師)が被災地で災害医療に従事されたそうですが、いつ支援に向かわれたのでしょうか。 金田光正(以下金田):横浜薬科大学では2018年に横浜市薬剤師会および横浜市と大規模災害の発生時に薬局機能を維持・補完するモバイルファーマシーを連携して運用する協定を結んでいます。今回は、日本薬剤師会から横浜市薬剤師会への支援要請に基づき、横浜薬科大学が保管・管理しているモバイルファーマシーを1月10日に被災地へ出動させることになりました。派遣メンバーは横浜薬科大学、横浜市薬剤師会、神奈川県薬剤師会の薬剤師で、第1陣から第7陣まで交代で被災地へ向かいました。第1陣は1月10日にモバイルファーマシーでおよそ9時間かけて能登半島へ行きました。現地の薬剤師を統括する石川県薬剤師会からの要請で能登町に行き、災害対策本部のある能登町役場近くの駐車場で活動していました。 鈴木高弘(以下鈴木):派遣された当初は、モバイルファーマシーの運用期間は決まっていませんでしたが、病院や薬局の再開状況を見ながら、第1陣は1月10日から14日改で、第2陣は14日から19日まで、第3陣が19日から23日まで、第4陣は23日から27日まで、第5陣は27日から31日まで、第6陣は31日力うら2月4日まで、第7陣は、2月4日から6日まで、薬剤師が入れ替わって活動し、2月6日にモバイルファーマシーは撤退しました。第2陣以降のメンバーは横浜から金沢まで新幹線、金沢市からは能登町まではンンタカーを駆使し、およそ6時間かけて現地に向かいました。 長嶋大地(以下長嶋):モバイルファーマシーは、神奈川県のほか、岐阜県、三重県、宮城県、和歌山県などからも派遣され、輪島市、穴水町、珠洲市などで活勃していました。 モバイルファーマシーにはどんな機能があるのでしようか。 金田:モバイルファーマシーには、医薬品が約300種類入る棚、自動分包機、薬品冷蔵庫、分包機、注射剤の混注ができるクリーンベンチといった薬局の機能に加え、災害時の対応のための無線、最大4人が宿泊できるベッド、トインなどが備わっており、被災地の薬局の機能が復旧するまでのつなぎ役として活勃します。 長嶋:モバイルファーマンーの大きな特徴は自律していること。電力や水が途絶えた状態でも調剤や医薬品の交付を行うことはもちろんのこと、寝食も車中で行うことができます。今回の場合、食料や水については金沢市で調達しました。車内はお湯しか使えなかったので、私が滞在していた期間は11食連続、カップラーメンと菓子パン、栄養補助食品という状況でした。 能登町役場近くの駐車場を活動拠点にしていたモバイルファーマシー ―被災地ではどんな活動をしましたか。 長嶋:第4陣として被災地に入ったのですが、急性期から慢性期へと災害医療活動のフェーズが変わる時期で、2日目には、薬局が営業し始めました。避難所で発行される災害処方箋は1日数枚でした。災害処方箋は、避難所DMAT(災害派遣医療チーム)やJMAT(日本医師会災害医療チーム)の医師が発行します。従来の処方箋との違いは「災」という文字と避難所名が明記されていることです。各避難所で発行された災害処方箋は、拠点となる役場に届けられ、モバイルファーマシーに持ち込まれます。それを私たちが調剤し、避難所にいる患者さんのもとへ届け、月礎薬指導をしま す。モバイルファーマシーの人員は4人あるいは2人体制だったのですが、2人体制の場合は各地から来たボランティア薬剤師に薬の配送と服薬指導をお願いしていました。避難所までは車で移動するのですが、道が陥没していたり、大雪だったりと路面状況が悪く、片道1時間以上かかるところもありました。また、地元の卸が1日1回来てくれたので、在庫が欠品することはありませんでしたが、雪の影響で行けないかもしれない、という連絡もあり、毎日状況が目まぐるしく変化していました。 私が被災地にいた時期は、調剤と医薬品の供給がミッションだったのですが、薬局が営業できるようになったため、横浜へ帰る頃(5日目)に行われた医療関係者などが一堂に会する能登町の災害対策本部では、災害処方箋の発行枚数を減らし、徐々に医療の担い手を地域に移行していく方針が立てられました。そこで私は薬剤師の判断で出せるOTC医薬品の活用を提案し、避難所に在庫がない場合は、モバイルファーマシーに連絡してほしい旨を伝えました。 鈴木:長嶋先生の災害紺策本部での提案により、私が第5陣として金沢に到着した際、金沢市薬剤師会からOTC医薬品を持っていくように指示され、被災地に入ってからは、各災害医療チームに渡すことが可能になりました。その後、各避難所でOTC医薬品を活用したという報告が多くありました。 災害処方箋は減りつつありましたが、ちょうどその頃、感染症が流行し始め、コロナがアウトブレイクしている状況で、保健師や、避難所を管理しているボランティアで各地から来た自治体職員から感染対策について相談を受けました。早速、避難所に向かい、環境調査とともに、手指消毒や換気の重要性についての啓発を被災者や避難所の管 理者に対して行いました。また、感染者のゾーニングについても話し合い、感染者を管理する部屋を設けていただきました。避難所は段ボールベッドで密になっているため、少しでも咳をすると、周りの人が反応するといったピリピリとした環境でした。さらに、日本赤十字病院(以下日赤)の救護班と連携し、各避難所で健康相談や服薬指導 も行いました。 金田:私が現地に入ったとき(第6陣)はモバイルファーマシーの撤退が決まっているフェーズでした。ある程度地域の医療が再開していたので、災害処方箋は発行しないという方針が立てられており、モバイルファーマシーでの活動というよりは、保健師や他県の薬剤師と連携を図り、各避難所を訪問して、C02濃度を測定する機器を使った環境検査などを行っていました。特に冬場で燃焼系の暖房器具を使って部屋を閉め切っているため、換気の状況はよくありませんでした。数値が高いところでは、避難所のスタッフに換気に関する指導を行いました。翌日訪問してみると各避難所に合った方法で換気が行われるようになり、高かった数値は改善していました。長期間に及ぶ避難所生活において感染症対策を含めた住環境の改善に寄与できたのではないかと思います。 モバイルファーマシーでの調剤の様子 ―災害対策本部の会議ではどんなことが話し合われているのですか。 鈴木:DMATやJMAT、DHEAT(災害時健康危機管理支援チーム)、、日赤の救護班から各2人ずつが参加し、避難所や障害者施設にいる被災者の状態、クリニックや薬局などの状況などを1日1回、夕方に報告し合って、翌日以降の方針を決めていきます。 長嶋:災害処方箋の中には、所属名や連絡先、さらには患者の生年月日が記載されていなかったものなど、疑義照会や監査に多くの時間が割かれました。中には夕方に災害処方箋が発行され、翌々日の朝までに薬を届けてくださいというように期日を指定するものもありました。スムーズに医薬品が提供できるように、会議の中で災害処方箋を発行する際の注意点を提示しました。 そのほかに、保健師だけが集まる会議が1日1回、朝に行われていました。参加規定は特になかったのですが、できるだけ多くの情報を入手すること、モバイルファーマシーと薬剤師の存在をアピーブレすることが重要だと思い、保健師の会議にも参加しました。 金田:保健師の会議では、避難所を回っている保健師から、薬がなくなって体調不良を訴えている避難者がおり、再開している病院に受診したいが、移動手段がなく受診が困難である、どうしたらよいかという相談がありました。そこでオンライン診療で処方箋を発行してもらい、近隣の薬局に届けてもらうことを提案、届けることが難しい場合は、他県の薬剤師が協力して届けてくれることになりました。朝に行われている保健師の会議に出席していなければ、対応は、1日遅れていたかもしれません。 愛知県・福岡県薬剤師会チームと連携して被災者に医薬品を提供した。 ―災害医療に従事して学んだことは? 長嶋:私自身、初めて災害医療に従事しましたし、横浜のモバイルファーマシーが派遣されたのも初めてのことでした。毎日の状況が変わる中、何かできることはないかということを常に考えながら行勃してきました。気づいたことは提案する、そして他職種と連携をして、実行することを学びました。 また、自分の体調はしっかりと管理しないといけませんね。被災地に行って自分が救護される立場にならないように転倒によるけが、事故などにも注意していました。 鈴木:季節によって避難所の環境は大きく変わります。どうしても調剤に目が向きがちですが、環境衛生をつかさどることも薬剤師の大きな役割です。夏場は熱中症や食中毒、冬場は感染対策といったことがありますので、状況に応じてしっかりと対応する力を身につけておく必要性を感じました。 金田:医療に関する情報はもちろんのこと、道路と橋のつなぎ目は隆起していて道路状況が悪いため、通過する時は注意するなど、周辺情報が徹底周知されていたおかげで、事故することなく、避難所へ行くことができました。 私たちが支援活動している間、大学では通常通り授業や業務が行われており、支援活動に携われたのは大学のサポートがあったからです。これは病院や薬局で働いている方も同様のことだと思います。薬学生の皆さんも将来、同じような立場になったら、職場だけでなく、場合によっては家族の理解を得ることも必要でしょう。そのことを肝に銘じて災害支援活動に携わってほしいと思います。 保健師とのミーティング 環境調査の様子













