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能登半島地震、その時薬剤師はどう動いたか②

クオール薬局

「医療の継続」を最優先に。

安心・安全な医療を提供するために避難所に仮設店舗を開設したクオールの取り組み


クオール株式会社 中部薬局事業本部 中部第一事業部 事業部長の河野さん
クオール株式会社 中部薬局事業本部 中部第一事業部 事業部長の河野さん

―能登半島にあるクオールグループの薬局が被災されましたが、最初にどのような対応をされましたか。

河野誠司(以下河野):人命と安全を最優先に行動しました。クオールグループでは、有事に備え、レスキューナウというシステムを使って、年4回訓練を行っています。地震発生後、エリアにいる全従業員の携帯端末に安否確認のためのメールが送られ、それに対して従業員が返信するというものです。能登半島地震発生後は、中部エリアの約400人の従業員に対して安否確認のメールが送信され、2時間以内に8割の方から返信がきました。電波状況が悪い地域では、公衆電話を使って連絡する人もいました。また、内定者の住所を調べて北陸エリアに住んでいる方にも安否確認のメールをしています。

1月2日の9時、東京本社に緊急対策室を立ち上げて、クール社長の柄澤はじめ、クオールホールディングスの常務も参加した緊急対策会議を開催し、今後の方針が決められました。中部エリアの従業員全員と連絡がとることができたものの、地震の影響でネットワークが安定していなかったことから、現地のスタッフとは1回は連絡がついても、その後は取れないというケースもあったので、すぐに現地へ駆け付けることとなりました。


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被災にあったクオール能登町薬局
被災にあったクオール能登町薬局

―何店舗の薬局が被災されたのでしょうか。

河野:能登半島には、グループ会社を合め3店舗あります。一番被害が大きかったのは、能登町松波にあるクオール能登町薬局(以下、能登町薬局)でした。能登町薬局は海岸近くにあり、外壁には80センチの波が押し寄せ、その影響で店内も30センチほどの床上浸水がありました。そのほかに被害のあった店舗は北陸クオールの宇出津らいふ薬局(能登町宇出津)と七尾らいふ薬局(七尾市)です。建物が損壊し、停電、断水に加え、医薬品等が店内に散乱していることなどにより、3店舗が営業できない状況でした。

 

―支援に向かったのはいつからですか。

河野:対策本部では、派遣メンバーを募り、3日には薬剤師7人を合む合計11人の本社スタッフを派遣しました。初期の頃は、拠点を富山の店舗とし、副社長の清水が指揮を執り、交代で人員や物資を運ぶ体制をとりました。私も中部薬局事業部責任者としてすぐにでも富山に行きたかったのですが、副社長が行くことが事前に分かっていたため、名古屋から福井、石川の店舗の状況を確認してから4日に富山に入り、5日に一番被害の大きかった能登町薬局に向かいました。この地区は能登町薬局が唯一の薬局でした。副社長は、医療を継続したいという思いで、避難所に指定されていた松波中学校の校長先生に仮設薬局の開設を打診し、これが後の仮設店舗の開設につながったのです。


応援部隊の拠点となった富山の店舗
応援部隊の拠点となった富山の店舗

―河野さんが穣災地tこ行くまで薬局長はどう過ごしていたのですか。

体育館の掲示板に薬剤師が避難所にいる時間帯を明記
体育館の掲示板に薬剤師が避難所にいる時間帯を明記

河野:地震発生後、避難所に行ってその夜は草中泊したそうです。2日には、患者さまのことが心配になり避難所に行くと、いろいろな相談を受けるんですね。はじめはOTC医薬品で対応していたのですが、3日からは処方薬の相談が増えました。震災時は、お薬手帳等で処方内容が確認できれば、調剤できるので、それにならって対応していました。ただ薬は薬局にしかありません。いつ大きな余震が起こるか分からない状況です。でも薬局長は目の前の患者さまをサポートすることを優先し、細心の注意を払って店内に散乱している医薬品の中から使えるものを探して渡していました。地震が起こったのは、1日だったため、店舗スタッフ(薬剤師、医療事務)は、薬局長を除き帰省してい

たので、私たちが応援にかけつけるまで1人で対応していました。

避難所の様子
避難所の様子

5日からは私も薬局長と一緒に避難所を回っていたのですが、患者さまと話している姿はとでも頼もしかったです。相談を受けていると、「次は私にお願い」というような声が多かったですね。ただ相談を受けてから、その都度薬局に医薬品を探しに行くというように不規則な流れで取り組んでいました。多くの患者さまに対応するために、体育館の掲示板に薬剤師のいる時間をあらかじめ提示し、避難所にいる時間と薬局にいる時間を明確にしました。

私と統括主任は、次の応援部隊が来る9日まで、スタッフのアパートに宿泊しながらサポートしていました。長く滞在していると、曜日感覚がなくなります。このまま続けていると、薬局長がつぶれてしようのではないかと思い、7日には心身ともにリフレッシュしてもらうために、金沢に行ってもらいました。被災地に戻ってからも2週間に1回3連休取ってもらっています。

 

―患者さまの状況を確認するのはお薬手帳だけだったのでしようか。

河野:能登半島では、昨年も大地震があったため、薬局長は地震の揺れによリパソコンやサーバーなどが破損しないようにしていました。そのおかげで4日にレセコンメーカーさんが駆けつけてくださって、バックアップを取ることができました。そこでようやく処方薬の履歴が確認できるようになったのです。

 

―仮設店舗はいつ開設したのでしようか。

松波中学校に設けられた仮設店舗
松波中学校に設けられた仮設店舗

河野:10日には、宇出津らいふ薬局と七尾らいふ薬局は営業を再開できたのですが、能登町薬局は復旧の目途が立たない状況でした。クオールとしては「医療の継続」を最優先に安心・安全な医療を提供するために、避難所である松波中学校に仮設店舗を開設し営業を再開しました。5日には仮設店舗の部屋が決められ、1週間かけて使えるものを選別して持ち込みました。医薬品の仕分けが主な作業で、崩れた調剤棚から使える医薬品を取り出し、五十音順に箱に詰めていきます。東日本大震災を経験した薬剤師が主体的に動いてくれたのでスムーズにできました。また、業者さんもサポートしてくださり、感謝しかありません。仮設店舗で営業を開始したのは13日です。

開局時間は、平日は9時から15時(土曜日は9時から12時)で、午前中に処方箋を受け付け、午後に調剤という流れにしました。できるだけ遅い時間まで開局したかったのですが、夕方になると暗くなるため、道が悪い状況の中でも安全に応援部隊が宿泊地に戻れる時間を考慮して閉店時間を決めました。最初の頃は、宿泊地から能登町までは車で片道4時間くらいかかりました。また、「なるべく薬剤師に負担をかけないように」とホールディングス社長の中村から指示がありましたので、ドライパーは非薬剤師が担当しました。2月中旬からは能登町から1キロほどのところに宿泊地を確保することができましたので、現在は薬剤師が運転しています。3月4日力うらは17時まで営業しています。

仮設店舗ですので、通常の店舗と同じように調剤ができないこともあります。一包化はできますが、粉砕機がなかった時期は、紙に包んで手でつぶしてください、というように患者さまに身振り手振りで指導することもありました。処方箋は1日に多い時で70枚、平均すると40枚くらいです。

最初の頃は4日勤務して交代というシフトを組んでいましたが、2月からは1週間勤務して交代という体制にしました。応援者は延べ50人くらいです(3月1日時点)。現地のスタッフも被災しているので、状況をみながら人の配置も通常の体制に移行していきたいと考えています。3月中旬には仮設店舗を引き払って薬局に戻る予定です。


―震災での心構えを教えてください。

河野:責任ある立場の人はスタッフの安否や店舗の状況を把握することです。それ以外の人は、上司に自分の状況を連絡することです。いざというときにできるように、定期的に訓練することが重要だと思います。また薬局の備えを忘れてはいけません。食料や水、バッテリーのストックはもちろんのこと、レセコンや調剤機器などが破損しないように工夫することも必要です。

それから忘れてはいけないのが心のケアです。現地のスタッフを含めた被災者はもちろんのこと、応援者に対しても同様にしてほしいと思います。



―薬学生ヘメッセージをお願いします。

河野:災害医療に関わることがあれば、患者さまファーストという気持ちをブレずに持ち続けてほしいと思います。被災地での活動は想像以上に過酷です。つらい状況が続くと自己中心的な考えに陥ることがあるかもしれませんが、自分が何のために被災地に来たのかということを忘れずに活動してはしいと思います。

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