教育現場と生成AIの現在地――「無免許運転」状態の子供たちと戸惑う教員
- toso132
- 6月12日
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国内最大級のICT・ネットワークイベントである「Interop Tokyo 2026」(2026年6月10日〜12日、幕張メッセ)の講演において、「教育現場から見た生成AI活用のリアル― AIリテラシーと認知オフロードのはざまで揺れる学び ―」と題した講演が行われた。現在、教育現場における生成AIの活用は急速に広がる一方で、「子供たちの思考を支えるものなのか、それとも委ねてしまうのか」という強い葛藤が多くの現場で生まれている。
全国の学校を巡る文部科学省学校DX戦略アドバイザーで、札幌国際大学准教授の安井政樹氏の視点からは、世におけるAIの進化のスピードと、学校現場の認識との間に大きな乖離があるリアルな実態が見えてくる。
年齢制限を知らない現場
特に深刻なのは、小学生や高校生といった子供たちが、大人の想像以上に生成AIを使いこなしているという事実である。小学生の間では、親のスマートフォンなどを介して日常的に生成AIを利用している割合がすでに8割近くにのぼる。高学年になれば、ほとんどの児童が手を挙げるのが現状である。
しかし、ここに大きな問題が潜んでいる。多くの生成AIには年齢制限が設けられており、例えば13歳未満の利用は禁止、あるいは制限されているが、学校の教員も保護者もその事実をほとんど認知していない。安井氏は、この状況を「言わば『無免許運転』の状態で子供たちが規則を無視して利用している状況であり、アクセス規制の存在すら教員側が分かっていないケースも少なくない」と危惧する。
教員と子供たちの「温度差」
子供たちは日々、YouTubeをはじめとする多様なデジタルコンテンツに触れており、例えば画像の中に不自然な「空」の描写があれば、それがフェイク画像であると直感的に気づくほどの感覚を身につけている。これに対して、多忙を極める学校の教員はそれらのメディアを十分にチェックする余裕がないため、フェイク画像であることすら見抜けない場合がある。これは教員がサボっているわけではなく、純粋に「見る暇がない」ほどの過密な業務環境に起因している。
こうした大人の目の届かないところで子供たちの利用が先行している結果、重大なセキュリティー上のリスクも生じている。特に高校生などでは、学校が関知しない私物のアカウントを使い、個人的な恋愛相談や日常の機微なプライベート情報をAIに入力するケースが常態化している。その際、入力したデータがAIの学習に利用されるのを防ぐ「オプトアウト設定」の存在を知り、自ら設定変更を行っている生徒はほとんどいない。
本来、各自治体の教育委員会などは、データが学習に利用されない安全な「教育用アカウント」を整備している。しかし、学校現場や教員側が私物アカウントと教育用アカウントの安全性の違いを正しく認識できていないため、適切なアカウントでの利用を指導できていないのが実態である。
さらに深刻なのは、子供たちが性的な悩みやいじめといった極めてセンシティブな相談、あるいは友人同士の喧嘩の解決法までもAIに委ねており、AIが一種の「駆け込み寺」やセーフティーネットとして機能している側面がある点だ。安井氏は「だからこそ、大人がセキュリティーやリテラシーの指導を放棄したまま、子供たちだけの空間に放置することは極めて危険である」と警鐘を鳴らす。
認知オフロードと「思考放棄」の境界線
教育現場でAI活用を阻む最大の懸念として挙げられるのが、思考をAIに丸投げしてしまう「認知オフロード」の問題である。しかし、安易に子供たちの学力低下やリテラシー不足を責めるのは筋違いである。
従来の教育活動は、教員が質問して子供が答えるというサイクルで成り立っていた。しかし現在、子供たちは「AIに質問して答えを教えてもらう」という逆のサイクルに身を置いている。安井氏は「何でもすぐに教えてくれるAIに依存することで、自分で考えるプロセスそのものを手放してしまうリスクが生じている。この思考の外部化こそが、教育現場で懸念されている認知オフロードの本質である」と指摘する。
求められる「リミッター」と教育用AI
一般的に「AIリテラシーの育成にはファクトチェックが不可欠である」と説かれることが多い。だが、大人の日常生活を振り返ってみても、グルメサイトの口コミを毎回ファクトチェックしている者はほとんどいない。大人にすら定着していない行動を子供に強いることには無理がある。
子供たちは「自分のためにならない」と頭では理解していても、目の前に答えがあればどうしてもそれを求めてしまう。安井氏は「トラックに速度超過を防ぐ『リミッター』が装着されているように、子供向けの教育用AIにも、そもそも『答えを直接出さない』という制限をシステム側でかけておく必要がある」と提言する。
さらに、AIが単に事実を正しく出力するだけでなく、子供の年齢や発達段階に応じて、人生の先輩たちがしてきたようにオブラートに包んだ回答や適切な表現の出し分けができる機能(例:サンタクロースや命の誕生に関する質問への対応)が、これからの教育用AIの方向性として求められている。
宿題のあり方という本質的な課題
教員がAIの活用に反対する背景には、子供に宿題や探究を「やりたい」と思わせていないという本質的な授業デザインの課題が隠されている。
子供たちが「ヒントを出すAI」ではなく「答えを出すAI」を使って一瞬で宿題を終わらせようとするのは、子供やAIが悪いからではない。安井氏は「諸悪の根源は、大人の側が『宿題はとにかく早く終わらせるもの』『レポートやスライドは期日までに形にするもの』という、やらされるだけの学習を強いてきたことにある」と断言する。
「『宿題は自分の苦手を見つけたり、できないところをできるようにするためのものだ』という学習観へこの国全体がシフトしない限り、子供たちが本質的な意味でAIを壁打ち相手として使うことはない。AIを活用して子供たちが難易度を選べるような宿題の出し方へと、教員側の意識を変革していく必要がある」というのが安井氏の強いメッセージだ。
日本特有の「一律・正確」の壁と向き合う
学校への生成AI導入をさらに難しくしているのが、日本人の国民性と教員の「間違えたくない」というマインドセットである。
教育現場では「失敗や漏洩を極端に恐れて公式な利用を禁止する一方、教員が個人の私物アカウントでこっそりAIを使う『シャドウAI』が横行する」という矛盾した状況が起きている。間違えることを悪とする文化が、AIという新しいテクノロジーの柔軟な受容を妨げている。
電車の時刻表と目玉焼きの理論
日本人は「電車の時刻表は正確に守られるもの」「機械は毎回同じ正しい答えを出すもの」という、世界的に見ても極めて厳しい信頼度を機械に対して持っている。そのため、生成AIのように確率論で動き、毎回出力が変わるような「ファジーなもの」を受け入れることが心理的に難しい。
学校の研修現場では、教員から「講師の先生とまったく同じアプリをAIで作るにはどうしたらいいか」と問われることが多いという。AIは同じプロンプトであっても二度と同じ回答を出さないが、その感覚が腑に落ちない教員は多い。安井氏はこれに対し、次のような身近な比喩を用いてレクチャーしていく必要性を説く。
「人生で目玉焼きを作るとき、卵も焼き加減も形も毎回異なり、完全に同じ目玉焼きには二度と会えない。人間の創作と同じように、AIの出力も毎回異なるものである」
「プロポーズの言葉」にみる解像度の低い議論
また、学校現場での議論は「AIを使うのはありか、なしか」という雑で極端な二択に陥りがちである。例えば、通知表の「所見」作成にAIを使うことの是非は大激論になりやすい。
安井氏は、これを「プロポーズの言葉を考えるときにAIを使うか」という問いに置き換えてみると分かりやすいと語る。AIが出した文章をそのままコピペして伝えるのは全員が「なし」と答えるが、「『どのような表現があるのかを参考にし、それを踏まえて自分の言葉で考える』のであれば、多くの人が『あり』と答えるはずである」。
学校におけるAI活用においても同様に、0か100かの議論ではなく、「どのような使い方が良くて、どのような使い方が不適切なのか」という解像度を上げた丁寧なルールづくりと分析を行うことが、現場の安心感につながる。
覚える力から、解決する力へ
社会の変化に伴い、私たちが依拠すべき「学力」の定義そのものをアップデートしなければならない。
スマートフォンやIT機器の普及により、現代人は他人の電話番号を暗記する必要がなくなった。同様に、大人になれば自分の住所と名前以外の漢字を日常的に手書きする機会は激減している。
「習った漢字を記憶して再生するテスト」の成績は落ちているかもしれないが、「知らない漢字をタブレットなどで自ら調べて解決するテスト」を行えば、現代の子供たちのほうが高い能力を発揮する。安井氏は、これからの学力観について次のように提言した。
「これまで教育は、何でも素手で、自分の力だけでこなさせようとする傾向があった。しかし、電話番号や漢字の暗記といった『かつて必要だった力』はあえてAIやデジタルにオフロードし、その分『集まった情報をどう活用するか』『どう思考を深めるか』という『これから必要な力』の育成へリソースを割くべきである」
今後の教育現場においては、単なるツールの「使い方」を覚えさせることにとどまらず、まずは「『使っていくことは問題ない、良いことなのだ』というマインドセットの刷新から始める必要がある」。そして、個別最適な学びや高校入試対策といった具体的な課題に対し、「学力を高めるためにいかにAIを協働パートナーとして使いこなすか」という、本質的な教育観の変革が今、まさに求められている。



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