能登半島地震、その時薬剤師はどう動いたか①
- toso132
- 5月9日
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1月1日16時頃、石川県の能登半島で発生したマグニチュードフ.6の大地震。
最大震度7の激しい揺れを観測し、津波も発生した。多くの尊い人命が奪われるとともに、社会インフラが破壊され、地域社会が崩壊するような壊滅的な被害が生じた。地震発生翌日には各地から派遣されたDMAT(災害派遣医療チーム)が救護にあたり、岐阜県や神奈川県などから派遣されたモバイルフアーマシー(災害対策医薬品供給車両)が調剤にあたり、さらには被災地に駆けつけた薬剤師が医薬品集積所や医療救護所などで医療支援を行っている。ここでは現地で災害医療支援に従事された薬剤師にお話を伺い、災害医療における薬剤師の役割を聞いた。
横浜薬科大学
モバイルファーマンーを出動し、災害医療活動に従事する

―能登半島地震が発生後、横浜薬科大学では、有志の職員(薬剤師)が被災地で災害医療に従事されたそうですが、いつ支援に向かわれたのでしょうか。
金田光正(以下金田):横浜薬科大学では2018年に横浜市薬剤師会および横浜市と大規模災害の発生時に薬局機能を維持・補完するモバイルファーマシーを連携して運用する協定を結んでいます。今回は、日本薬剤師会から横浜市薬剤師会への支援要請に基づき、横浜薬科大学が保管・管理しているモバイルファーマシーを1月10日に被災地へ出動させることになりました。派遣メンバーは横浜薬科大学、横浜市薬剤師会、神奈川県薬剤師会の薬剤師で、第1陣から第7陣まで交代で被災地へ向かいました。第1陣は1月10日にモバイルファーマシーでおよそ9時間かけて能登半島へ行きました。現地の薬剤師を統括する石川県薬剤師会からの要請で能登町に行き、災害対策本部のある能登町役場近くの駐車場で活動していました。
鈴木高弘(以下鈴木):派遣された当初は、モバイルファーマシーの運用期間は決まっていませんでしたが、病院や薬局の再開状況を見ながら、第1陣は1月10日から14日改で、第2陣は14日から19日まで、第3陣が19日から23日まで、第4陣は23日から27日まで、第5陣は27日から31日まで、第6陣は31日力うら2月4日まで、第7陣は、2月4日から6日まで、薬剤師が入れ替わって活動し、2月6日にモバイルファーマシーは撤退しました。第2陣以降のメンバーは横浜から金沢まで新幹線、金沢市からは能登町まではンンタカーを駆使し、およそ6時間かけて現地に向かいました。
長嶋大地(以下長嶋):モバイルファーマシーは、神奈川県のほか、岐阜県、三重県、宮城県、和歌山県などからも派遣され、輪島市、穴水町、珠洲市などで活勃していました。
モバイルファーマシーにはどんな機能があるのでしようか。
金田:モバイルファーマシーには、医薬品が約300種類入る棚、自動分包機、薬品冷蔵庫、分包機、注射剤の混注ができるクリーンベンチといった薬局の機能に加え、災害時の対応のための無線、最大4人が宿泊できるベッド、トインなどが備わっており、被災地の薬局の機能が復旧するまでのつなぎ役として活勃します。
長嶋:モバイルファーマンーの大きな特徴は自律していること。電力や水が途絶えた状態でも調剤や医薬品の交付を行うことはもちろんのこと、寝食も車中で行うことができます。今回の場合、食料や水については金沢市で調達しました。車内はお湯しか使えなかったので、私が滞在していた期間は11食連続、カップラーメンと菓子パン、栄養補助食品という状況でした。

―被災地ではどんな活動をしましたか。
長嶋:第4陣として被災地に入ったのですが、急性期から慢性期へと災害医療活動のフェーズが変わる時期で、2日目には、薬局が営業し始めました。避難所で発行される災害処方箋は1日数枚でした。災害処方箋は、避難所DMAT(災害派遣医療チーム)やJMAT(日本医師会災害医療チーム)の医師が発行します。従来の処方箋との違いは「災」という文字と避難所名が明記されていることです。各避難所で発行された災害処方箋は、拠点となる役場に届けられ、モバイルファーマシーに持ち込まれます。それを私たちが調剤し、避難所にいる患者さんのもとへ届け、月礎薬指導をしま
す。モバイルファーマシーの人員は4人あるいは2人体制だったのですが、2人体制の場合は各地から来たボランティア薬剤師に薬の配送と服薬指導をお願いしていました。避難所までは車で移動するのですが、道が陥没していたり、大雪だったりと路面状況が悪く、片道1時間以上かかるところもありました。また、地元の卸が1日1回来てくれたので、在庫が欠品することはありませんでしたが、雪の影響で行けないかもしれない、という連絡もあり、毎日状況が目まぐるしく変化していました。
私が被災地にいた時期は、調剤と医薬品の供給がミッションだったのですが、薬局が営業できるようになったため、横浜へ帰る頃(5日目)に行われた医療関係者などが一堂に会する能登町の災害対策本部では、災害処方箋の発行枚数を減らし、徐々に医療の担い手を地域に移行していく方針が立てられました。そこで私は薬剤師の判断で出せるOTC医薬品の活用を提案し、避難所に在庫がない場合は、モバイルファーマシーに連絡してほしい旨を伝えました。
鈴木:長嶋先生の災害紺策本部での提案により、私が第5陣として金沢に到着した際、金沢市薬剤師会からOTC医薬品を持っていくように指示され、被災地に入ってからは、各災害医療チームに渡すことが可能になりました。その後、各避難所でOTC医薬品を活用したという報告が多くありました。
災害処方箋は減りつつありましたが、ちょうどその頃、感染症が流行し始め、コロナがアウトブレイクしている状況で、保健師や、避難所を管理しているボランティアで各地から来た自治体職員から感染対策について相談を受けました。早速、避難所に向かい、環境調査とともに、手指消毒や換気の重要性についての啓発を被災者や避難所の管
理者に対して行いました。また、感染者のゾーニングについても話し合い、感染者を管理する部屋を設けていただきました。避難所は段ボールベッドで密になっているため、少しでも咳をすると、周りの人が反応するといったピリピリとした環境でした。さらに、日本赤十字病院(以下日赤)の救護班と連携し、各避難所で健康相談や服薬指導
も行いました。
金田:私が現地に入ったとき(第6陣)はモバイルファーマシーの撤退が決まっているフェーズでした。ある程度地域の医療が再開していたので、災害処方箋は発行しないという方針が立てられており、モバイルファーマシーでの活動というよりは、保健師や他県の薬剤師と連携を図り、各避難所を訪問して、C02濃度を測定する機器を使った環境検査などを行っていました。特に冬場で燃焼系の暖房器具を使って部屋を閉め切っているため、換気の状況はよくありませんでした。数値が高いところでは、避難所のスタッフに換気に関する指導を行いました。翌日訪問してみると各避難所に合った方法で換気が行われるようになり、高かった数値は改善していました。長期間に及ぶ避難所生活において感染症対策を含めた住環境の改善に寄与できたのではないかと思います。

―災害対策本部の会議ではどんなことが話し合われているのですか。
鈴木:DMATやJMAT、DHEAT(災害時健康危機管理支援チーム)、、日赤の救護班から各2人ずつが参加し、避難所や障害者施設にいる被災者の状態、クリニックや薬局などの状況などを1日1回、夕方に報告し合って、翌日以降の方針を決めていきます。
長嶋:災害処方箋の中には、所属名や連絡先、さらには患者の生年月日が記載されていなかったものなど、疑義照会や監査に多くの時間が割かれました。中には夕方に災害処方箋が発行され、翌々日の朝までに薬を届けてくださいというように期日を指定するものもありました。スムーズに医薬品が提供できるように、会議の中で災害処方箋を発行する際の注意点を提示しました。
そのほかに、保健師だけが集まる会議が1日1回、朝に行われていました。参加規定は特になかったのですが、できるだけ多くの情報を入手すること、モバイルファーマシーと薬剤師の存在をアピーブレすることが重要だと思い、保健師の会議にも参加しました。
金田:保健師の会議では、避難所を回っている保健師から、薬がなくなって体調不良を訴えている避難者がおり、再開している病院に受診したいが、移動手段がなく受診が困難である、どうしたらよいかという相談がありました。そこでオンライン診療で処方箋を発行してもらい、近隣の薬局に届けてもらうことを提案、届けることが難しい場合は、他県の薬剤師が協力して届けてくれることになりました。朝に行われている保健師の会議に出席していなければ、対応は、1日遅れていたかもしれません。

―災害医療に従事して学んだことは?
長嶋:私自身、初めて災害医療に従事しましたし、横浜のモバイルファーマシーが派遣されたのも初めてのことでした。毎日の状況が変わる中、何かできることはないかということを常に考えながら行勃してきました。気づいたことは提案する、そして他職種と連携をして、実行することを学びました。
また、自分の体調はしっかりと管理しないといけませんね。被災地に行って自分が救護される立場にならないように転倒によるけが、事故などにも注意していました。
鈴木:季節によって避難所の環境は大きく変わります。どうしても調剤に目が向きがちですが、環境衛生をつかさどることも薬剤師の大きな役割です。夏場は熱中症や食中毒、冬場は感染対策といったことがありますので、状況に応じてしっかりと対応する力を身につけておく必要性を感じました。
金田:医療に関する情報はもちろんのこと、道路と橋のつなぎ目は隆起していて道路状況が悪いため、通過する時は注意するなど、周辺情報が徹底周知されていたおかげで、事故することなく、避難所へ行くことができました。
私たちが支援活動している間、大学では通常通り授業や業務が行われており、支援活動に携われたのは大学のサポートがあったからです。これは病院や薬局で働いている方も同様のことだと思います。薬学生の皆さんも将来、同じような立場になったら、職場だけでなく、場合によっては家族の理解を得ることも必要でしょう。そのことを肝に銘じて災害支援活動に携わってほしいと思います。


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