薬剤師100人カイギ いよいよクライマックスへ!多様な薬剤師キャリアが語りつくされたVol.19の模様をレポート
- ito397
- 2 日前
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「100人カイギ」とは、特定の地域やコミュニティに所属する人たち100人が一人ずつプレゼンを行ない、それぞれの生き方や考え方を共有することで緩やかに人と人を繋ぐことをコンセプトにした活動。その医薬関係者バージョンである「薬剤師100人カイギ」が2023年に発足して3年が経過。隔月ペースで5名ずつ登壇するイベントとして継続開催されてきた。先ごろ第19回目が川崎市の「F3rd X Uvance Kawasaki」を会場にハイブリッド開催された。
次回(8月22日開催)でいよいよ100人到達となるクライマックスを迎える中、Vol.19でも様々な思いで薬剤師の道を前進する5名のプレゼンテーションが行われた。その模様を紹介する。
「LINEと馬刺しと薬局探検隊」 吉田大貴さん
株式会社pharb 取締役/株式会社nobleme 代表取締役

吉田大貴さんは新卒で大手のドラッグストアチェーンに入社。4年目に調剤専門の薬局チェーンに転職してからは、転勤続きで目まぐるしい生活を経験します。派遣薬剤師として資金を貯めて独立を考えていた折、大学時代の友人から誘いを受けたことが、後の多彩なキャリアを切り拓く大きな転機になりました。
プログラミングとの出会いとスタートアップへの道
誘われた会社(株式会社pharb)では社員が自主的にプログラミングを学んでいました。吉田さん自身もこの時初めてパソコンを本格的に触り、独学でシステム開発の勉強を開始しました。そこで自ら構築したシステムを、スタートアップ支援プログラムに応募したところ、見事に採択されます。この時から吉田さんは事業構築や資金調達、企業価値の向上といったビジネスの洗礼を受けることになります。試行錯誤の期間が長く続きましたが、成果としてこのオンライン服薬指導システムの立ち上げへと結びつきました 。
コロナ禍での先進的な取り組みと失敗から生まれた馬刺しフランチャイズ事業
まさにその当時はコロナ禍の最中で、オンライン服薬指導は先進的な取り組みとして話題を呼びました。
また、開発過程では「LINE」の仕組みに深く馴染んでいたため、この知見を活かして薬局の集客用LINEツールをリニューアルしたところ、他の企業からも作成依頼が殺到。このニーズも本格的な事業として進めるために新会社「nobleme」を創業しました。SNSやYouTubeチャンネルを開設するなど、多角的な情報発信を続けていきます。
実は吉田さんはコロナ禍の時期に「無人販売のお肉店」ビジネスにも参入したものの、これが大赤字を叩き出して閉店へと追い込まれるという経験もありました。しかし、残された冷凍庫を薬局内に持ち込み、個人的に美味しいと感じていたという理由で「馬刺し」を仕入れて試験的に販売を開始。するとこれが予想以上にSNSでも反響を呼び、周囲の薬局からの「うちでも馬刺しを販売したい」という声にこたえるようにフランチャイズ事業をスタート。いまでは30店以上を数えるほどの成長を遂げます。
すべての挑戦はキャリアの伏線になる
吉田さんはこれまでの歩みを振り返り、SNSなどで外の世界に向けて発信を続けることがいかに大切であるかを力説します。発信を続けることで異業種との繋がりが生まれ、一見関係のない点と点が、後から思わぬ形で結びついていくからです。全力を尽くした経験は、後から必ず自分だけのユニークな『特色』やキャリアの『伏線』となり、未来の自分を形作ることになると語りました。
笑顔を生み出す薬学生 いつきさん
富山大学大学院(薬系)修士2年

長野県出身のいつきさんは、中学生の時に経験した激しい腹痛をきっかけに薬学の道を志しました。市販薬によって症状が改善し、その薬をお守りのように持ち歩くことで得られた安心感から、「薬を作ることで多くの人の日常を守り、誰かの助けになりたい」という強い想いを抱くようになります。
富山大学に進学し、現在は大学院修士2年生として研究に励む傍ら、複数のサークルや学生団体に所属し、精力的に活動しています。
患者さんの声を聞くための学外活動と小児医療への想い
将来の進路としては小児用医薬品を開発し、病気の子どもたちを救うことを目標にしていましたが、一方では保育士を目指すか迷ったほど子どもが大好きだったことから、「子ども」と「患者さんの声」の双方に関わる活動を模索。大学に入り、まず第一歩として取り組んだのが「ぬいぐるみ病院」という活動でした。これは子どもたちにお医者さん体験をしてもらうことで病院への恐怖心を和らげる活動ですそして1年生の冬に全国の薬学生が夢を語る「全国薬学生アワード」に出場し、活動をプレゼンします。これをきっかけに医療学生団体「Links-mil」にも参加し、闘病経験者との対談などの活動をはじめ、全国の仲間との交流を深めていきました。
地域コミュニティでの漢方カフェと手話・国際交流の再開
大学2年生の時には、過疎化が進む富山県砺波市で医学部の友人と共に「漢方カフェ」を立ち上げました。カフェでは地域の住民から薬草の知識を教わるなど、地域ならではの空間を作り上げることを意識しました。また、コロナ禍で活動が停止していた大学内の「手話会」を再開。手話講座を開けるレベルまで上達し、マスク生活で口元が見えず困窮していた聴覚障害者の架け橋となる活動を展開しました。さらに、台湾やタイからの留学生・交換留学生とも積極的に交流し、異文化の視点から医療や生活習慣の違いを学ぶなど、好奇心旺盛に視野を広げ続けています。
出会いと挑戦のサイクル
現在は小児薬物療法研究会学生部会の副代表として小児医療への学びに注力しています。
ここまでの活動を振り返り、いつきさんは「出会いが挑戦を生み、その挑戦がまた新しい出会いを生む」という持論を語りました。一歩を踏み出すことで世界が広がり、そこで得たアドバイスによって次の挑戦へ繋がる好循環が生まれます。そして、これからは「誰かの『やってみたい』という想いを後押しできる存在になりたい」と、後輩を後押ししていくことへの抱負も語りました。
昭和の熱血おじさん薬剤師 田代結城さん
株式会社DoraPharma取締役/一般社団法人日本薬学生支援機構代表理事/株式会社ユニコーン薬局取締役

田代結城さんは現在、3つの会社・組織を統括しています。7店舗を運営する調剤薬局「ユニコーン薬局」、薬局や医療業界向けの採用支援を展開する「DoraPharma」、薬学生に向けて成長のきっかけや出会いを提供する「日本薬学生支援機構」。薬局の実務の現場で得た知見や発見を外部に発信・アドバイスし、さらにその最先端の業界動向を薬学生に認知してもらうという、相互に好循環を生み出す構造になっています。
独立への歩みとコロナ禍の苦難
2007年に社会人となった田代さんは、ドラッグストア企業へ入社し、薬局実務やマネージャー職、新卒等の採用担当など様々な経験を積みました。そこで培った10数年の経験が現在の強固な土台になりました。この経験を元に、代表と2名で独立を果たし、DoraPharmaを創業。しかし創業直後にコロナ禍が直撃し予定していたイベント等が一切開催できず、資金繰りに苦悩した苦い経験もありました。
薬学生支援と「働きがい日本一」の薬局経営へ
コロナ禍を経て、田代さんは薬学生が楽しみながら自身のキャリアに関心を持てるよう、ユニークな施策を次々と打ち出します。
薬学生が夢を語るイベント「薬学生アワード」、人生ゲームのように薬剤師の様々な職種を疑似体験できるキャリアゲームの開発、薬局業界で活躍するトップランナーを招いた52週連続オンラインセミナー等々。
一方で薬局運営では、「働きがい日本一の薬局組織」というコンセプトを掲げています。自社独自の「セブンバリュー(7つの価値観)」を定めて仕組み化を図っています。会社の経営状態や各店舗の利益状況を薬局長などへ完全にオープンにし、働く上での「納得感」を醸成。その企業風土から自発的な新しいチャレンジへと繋がる信頼関係を築いています 。
将来進む道に悩む若者へ
田代さん自身、若い頃は先のことを明確に考えていたわけではなく、瞬間瞬間のやりたいことに向き合い、積み上げてきた結果として今ようやく未来が見えてきた段階だと言います。独立時の苦い経験も今では前向きにとらえて糧にしています。そのうえで、先のことは誰にも分からないからこそ、今、目の前にあるやるべき仕事や課題に一生懸命取り組んでほしい。その地道な積み重ねの先に、いつか必ず本気で情熱を注げる本当の目標が現れる」と語りました。
人生の使い道を整える薬剤師 鈴木理恵さん
国際コーチ(ACC)、整理収納アドバイザー

鈴木理恵さんは現在、薬局勤務の傍ら、個人事業主として国際コーチ、整理収納アドバイザー、各種企業研修の講師など多彩な活動を展開しています 。
薬学の道を志したきっかけは、高校2年生の時に先生から聞いた「薬剤師はいいぞ、名義貸しで月30万だ!(?)」という昭和の都市伝説のような言葉に心を動かされたからで、出身地である宮崎から出たいという思いもあり、郷里から遠く離れた千葉大学薬学部へ進学しました 。
9年間の講師生活と10年間の専業主婦生活
学生生活を謳歌した結果、国家試験に一度不合格となる挫折を経験したものの、予備校を経て無事に合格。そのままその予備校で国試対策の講師を9年間務めることになります。この9年間が、現在の研修講師としての確かな土台となりました 。
その後、結婚、妊娠、出産を経て、10年間の専業主婦生活に入ります。3人の子どもを育てる中、目の前の育児イベントを必死にこなし続ける日々を送りました。
そして一番上の子の小学校入学を機に、6年制卒の薬剤師が社会に出始めるタイミングと重なった焦りもあり、約20年のブランクを経て実務未経験のまま薬局のパート薬剤師として社会復帰を果たしました。
コーチングとの出会いと服薬指導への応用
子どもたちが思春期を迎えると、親の言うことを聞かないという新たな壁に直面し、解決の糸口を求めて書店で手にした本からコーチングを学び始めます。
このことは仕事の上でも一つの転機になります。対話の手法を一から学んだ鈴木さんは、薬局での服薬指導にも実践的に応用。患者さんに対して適切な問いを投げかけることで、患者自身から自発的な言葉を引き出すことに成功します。コーチングのスキルは、薬剤師としての業務の質を劇的に向上させることになりました。
自分らしく働いていくためには
鈴木さんもまた、最初から強い熱意や明確な計画をもっていたわけではなく、その時々に直面した進学、国試、育児、子供の思春期などの課題に向き合い、試行錯誤して行動を重ねてきた結果が、現在の「薬剤師×国際コーチ×整理収納アドバイザー」という唯一無二のキャリアに繋がっています。「目の前にあることに全力を尽くして学び続けることで、自分らしい生きる道が後から必ず拓けていく」という経験に基づく希望を提示し、プレゼンを締めくくりました。
薬学界のジャンヌダルク 「メディセレのしゃっちょう」こと児島惠美子さん
メディセレスクール代表取締役社長

「メディセレのしゃっちょう」の愛称で親しまれている児島惠美子さんは、薬剤師国家試験予備校「メディセレスクール」の代表をはじめ、多方面で事業展開を行っています。精力的に華々しく活躍しているように見られる児島さんですが、人生の大きな転機はすべて「マイナス体験」がきっかけでした。
幼少期に実の兄を医療事故で亡くした経験から「将来は小児科医になって子どもたちを救いたい」という強い夢を抱いていました。しかし、センター試験の受験直後、今度は父親が胃がんを患っていることが発覚。家計への負担などを顧みた児島さんは、医師になる夢を断念。失意の中でも気持ちを切り替え、同じ医療の道である薬学部への進学を決意しました。
予備校講師としての頭角と「メディセレ」の創業
大学卒業後は国試対策予備校の講師としてのキャリアを歩み始めます。持ち前の熱意と指導力で、若くして要職を任されるまでになりました。しかし、経営方針と自身の考えにずれを感じるようになり、児島さんは自分が理想と考える教育を実現するために独立を決意。そして立ち上げたのが、現在の「メディセレスクール」です。創業にあたっては、かつて自分の夢を阻んだ「医療事故」を起こさせないという願いを込め、「倫理観と思いやりの心を持った質の高い医療人を育てる」という理念を掲げました。
災害医療で見えた「あるもので工夫する」重要性
児島さんは災害時における医療支援活動にも情熱を注ぎます。東日本大震災をはじめ、大規模災害の折には被災地へいち早く足を運び、物資や医療体制が整っていない極限状態の現場で、薬剤師として何ができるかを模索し続けました。被災地での過酷な支援経験を通じて、環境や物資が揃っていない状況で、今あるものをいかに代用し、工夫して乗り切るかというマインドを学んだと語ります。これは企業経営や組織運営にも同じことが言えます。「今いるメンバーで、今あるリソースを最大限に活かしてみんなで頑張る」という感覚こそが、これからの時代を生き抜く強さになると説きました 。
すべての経験を前進する力に変えていく
最後に児島氏は、人生における挫折や不条理なマイナス体験があっても、それを単なる不幸で終わらせるのではなく、見方を変えることによって次の挑戦への原動力へと変えていけるはずだと語り、講演を締めくくりました。
以上、5名のプレゼンターによる波乱と冒険に満ちた薬剤師(薬学生)の半生が語られた形だが、どの話からも共通して、計画通りにいかなくても、また計画性が無かったとしても、地道に目の前の課題に熱意をもって向かい合うことで、自身が納得できる場所にたどり着けるというメッセージが込められていた。
学生にとっては「将来何になりたいの?」と聞かれたときに、明確なビジョンが描けていない人も多いはずだが、ここで紹介した先輩方の話からは、それでも大丈夫なのだということを汲み取ってもらえたら良いと思う。
薬剤師100人カイギは次回8月22日(土)開催のVol.20にて累計100名目のプレゼンを以って完結する予定だ。



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