失敗を恐れず、自ら道を拓く一薬剤師の挑戦
- toso132
- 5月8日
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更新日:10月7日
株式会社メタルファーマンー代表取締役・薬剤師
川野義光

京都府を中心に薬局を展開する川野義光氏。薬局を独立した転機は先行きが不透明な店舗の再建だった。その後、黒字化のタイミングで独立し、現在は7店舗の薬局を運営するほか、在宅で過ごす患者さんの食の課題を解消するため、弁当製造事業を立ち上げている。また、地域の薬局と業務提携を結び、中小薬局でも一定の研修が受けられる体制を整備したり、自身が出資しYouTubeチャンネルを立ち上げ、薬剤師が活躍する姿を発信したりするなど、薬局業界に新風を吹き込んでいる。ここでは川野氏に地域医療や薬剤師に対する思いを聞いた。
――大学ではどんな生活を送っていましたか。
大学では2つのことに取り組みました。1つがバンド活勃、もう1つがパチンコ。パチスロです。特にパチンコ・パチスロは、私の人生を大きく左右するものとなりました。パチンコ・パチスロは9割くらいのユーザーが負けるといわれています。残りの1割の人は、コンビニや書店で売っているパチンコ情報誌をもとに機種の研究・分析をして勝ち抜いています。ほとんどのユーザーは、情報誌が唯―の情報源であることを知っているにもかかわらず、それを活用しない、だから負けるのです。逆に言えば研究すればするほど、勝つ可能性が高まるのです。パチンコ・パチスロに限らず、やるべきことをしっかりやれば成功できるんだということを学びました。
――成長する人って行動力がありますよね。逆に成長しない人はできない理由を探すみたいな。
そんな考えを持っていたので、就職先も企業で選ぶのではなく、そこで自分が何をしたいのかということを考えていました。
就職した薬局は、当時(2010年)から在宅医療に積極的に取り組んでいたこともあり、主に介護施設の薬剤管理を担当していました。施設の看護師とコミュニケーションを取るのは面白かったですね。看護師ってクセの強い人が多いんです。例えば処方箋を送ってくるタイミングは、薬局の閉店時間間際に送ってくるとか…、そういう人たちをいかに懐柔するかということを個人的な課題としてもっていました。課題を克服するために、看護師とたくさんコミュニケーションをとって自分の存在を知ってもらい、いい関係を築いていくことに力を注ぎましたね。その結果、働く環境もよくなっていきました。
その後、妻の出産などで何社か転職しましたが、最初に勤務していた会社の方から声がかかり、独立するという条件で、元にいた会社に戻りました。しばらく管理薬剤師として働き、その間、京都の西京極薬剤師会会長を1年間務めました。薬剤師会の会長として地域ケア会議などに参加した時、自分の考えが変わる出来事がありました。どの会議でも一人暮らしの高齢者のコミュニティーづくりが話題になっていたのですが、自宅で困っている高齢者がたくさんいることを知らせられたのです。それをきっかけに、個人の在宅に注力したいと思うようになり、社長にそのことを伝えたのですが、会社としては効率を考えたら、施設を優先させたいという回答でした。企業としては正解だし、それを否定する気はありませんが、私としては自分が思った課題に対して取り組みたいと思っていました。
――独立の思いが強くなったのですね。
そんな話をしているうちに、たまたまM&Aした店舗を任されることになりました。会社からは1年半で黒字化したら譲渡するという条件を提示されましたが、応需先の病院が移転を機に売り出された薬局だったため、先行きが不透明な状況でした。最初の月は赤字でしたが、たまたま近隣にある眼科に行ったら院外処方にするという話をいただいたり、個人の在宅を積極的に受けたりして1年で黒字にすることができました。
――独立したのはいつなのですか。
2017年です。黒字化が見えた時に、卸から薬局のM&A案件を紹介されたのですが、完全に独立するよで、その店舗は友人の薬剤師に任せ、独立してからその店舗をM&Aしたので最初は2店舗からのスタートでした。
――薬局では珍しく弁当製造事業をはじめていますが、なにかきっかけがあったのですか。
週に4回くらい呼ばれる手のかかる患者さんとの出会いがきっかけでした。ごみが散乱した部屋を見渡すと、毎回同じ菓子パンの袋があり、よく見たら患者さんの口の周りにチョコンートが!患者さんは足も悪く、筋力も低下。食生活が悪いからこんな状態になったのだと思いました。初めのうちは、タンパク質をとっていただくため、コンビニ弁当を買っていましたが、できることなら、人が作ったものを食べさせてあげたいという思いが募ったのです。でも私は料理ができなかったので、いろいろ思いを巡らせていました。そうこうしているうちに患者さんの容態が悪くなり、施設に入ることになりました。
その患者さんとの関係はいったん終わったのですが、栄養状態の悪い患者さんはまだまだ地域の中にいるはず。そういった方たちを見つけて、サポートするにはどうしたらいいのか。その答えが弁当屋だったのです。
――未知の分野に飛び込むのにためらいはありませんでしたか。
ゼロからのスタートでしたが、高齢者の栄養状態をよくしたいという思いが強かったですね。まずは管理栄養士を雇いました。そして私の弟が滋賀県で和食居酒屋を経営していたので、店長候補に研修に行ってもらいました。これでいけると思ったのですが、現実は厳しかったです。管理栄養士のンシピをもとに弁当を作るのですが、1度に50人分の料理を作ると、味が全然安定しないのです。でも試行錯誤をして何とか形にすることができました。これでオープンできるなと思っていたところ、料理人が腰のヘノレニアでリタイアしたのです。オープンまであと2週間の時のことでした。
ここで大きな決断を迫られました。私は大きい決断をする際は、進むか、とどまるか、戻るかの三択をします。やめることは考えていませんでしたし、料理人が復帰する可能性もありませんでしたので、自分でやろうと決めました。まずは、営業日を年中無休から週5日とし、メニューも日替わりではなく、例えば月曜日はカレ/― というように5種類に絞りました。そこから弁当屋に泊まり込んでYouhibeの料理チャンネノレ′ど見ながら料理の技術を磨き、何とかオープンにこぎつけることができました。オープンしたのは2021年3月です。
――心が折れることはありませんでしたか。
新しいことをしたら大なり小なり失敗します。弁当屋は失敗続きだったのですが、目的が明確化されていたので、閉店することは頭の中にはまったくありませんでした。黒字化するのに1年半かかりました。
弁当屋をはじめて、あらためて薬局のビジネスモデルは強いなと痛感しました。弁当屋は薬局と違い、お客さんに選んでもらわないといけません。そして味を気に入ってもらってリーピートしてもらう。広告にもお金をかけましたし、味の改良、接客にも力を入れました。オープン前は独居の高齢者か、そのご家族をターゲットにしていましたが、地域の中には私たちを必要としている層があることが分かりました。それが小学生くらいのお子さんがいるお母さんです。地域のお母さんたちが集まるイベントに呼ばれた際に、「働きながら子供に食事をつくるのは難しい。でも子供には健康なもの食べさせてあげたい」という声を多く聞きました。
最初の半年は、私自身が弁当屋の環境を整備し、その後はスタッフに任せています。2023年10月に2店舗目をオープンする予定です。
――地域の薬局と業務連携し研修体制(在籍型出向研修「マワレ」)を構築しているそうですが、その内容をお教えください。
さど調剤グノレープ(新潟県佐渡市)の薬剤師。光谷良太さんと、けやき薬局(福島県会津若松市)の馬場祐樹さんと連携して、それぞれの社員を出向させて、研修するというものです。出向期間は1~ 3週間、対象は薬剤師と医療事務です。相互で研修することでスタッフの視野が広がりますし、互いの企業のノIクハIンをシェアすることもできます。2023年2月からトライアノンを開始し、2024年4月に本格運用します。
このアイデアはいろいろな企業が考えていたと思うのですが、実現しているところはありません。ネックになるのがスタッフの引き抜きなんですね。だから連携できる企業は互いが尊敬していることが条件になります。そういう思いがあれば、仮に出向先にとどまりたいたいという申し出があっても、「頑張って行って来い」と送り出すことができるのです。
――YouTubeチャンネルを立ち上げたそうですが、どんな番組ですか?
「あしたの薬局」という名前で2023年に立ち上げました。「マネーの虎」と「情熱大陸」を掛け合わせたような番組です。番組の出資は私がやっています。番組のスタイブレとしては、薬局の社長たちの前で、若い薬剤師が自分の夢ややりたいことをプレゼンします。社長たちは出資をしないのですが、プレゼンを聞いて応援するかどうかをジャッジします。マッチングが成立したら、応援する社長が薬剤師に対して、夢をかなえるためのミッションを与えます。そして、そのミッションを乗り越える薬剤師の姿を1カ月間カメラで追い続けます。
このチャンネノレを通じて、薬剤師の価値の向上、挑戦することをためらっている薬剤師への後押し、みんなからあこがれられる薬剤師の輩出― に寄与したいと思っています。我こそはと思う方は公式ライン(https:/lin.ee/i0O78js)に応募してください。
――今後の展望について教えてください。
海外事業をやっていきたいですね。JICA(国際協力機構)のプロジェクトでキノレギスに行っていた薬剤師に「キブレギスに来ないか」と誘われたのがきっかけで、現地を訪問したときのこと。キノレギスの保健省の人や業界最大手の薬局の副社長、国立大学の薬学部長と話をして、キノレギスの薬局の現状を聞いたところ、服薬指導やフォローアッ
プという概念がなく、ただ付箋に書いてある処方薬についてジェネリックにするかどうかを聞いて渡すだけというものでした。私が日本の薬局や薬剤師の役割について話すと、ぜひキノレギスに持ち込んでほしいと依頼されました。現在JICAに申請中ですが、採択されれば、2024年から現地の薬局とコラボして日本式の薬局をつくり、試験運用する予定です。
――最後に薬学生に対してメッセージをお願いします。
世の中には学ぶことはたくさんあります。意味がないと思えるような授業、ただこなすだけのバイト、見方を変えれば学びはたくさん転がっています。「○○ガチャ」という言葉をよく聞きますが、与えられた環境に不満を漏らすのではなく、学ぶ姿勢は失わないでください。きっと人生が豊かになるはずです。

川野義光(かわの・よしみつ)
大阪薬科大学卒業後、チェーン薬局等で薬局薬剤師として勤務。2017年に株式会社メタルファーマシーを設立し、現在は京都を中心に薬局7店舗、弁当製造販売店1店舗を経営している。また、地域の薬局と業務提携を結び、在籍型出向研修「マワレ」を立ち上げ、新たに研修体制を整備したり、夢に向かって挑戦する薬剤師の姿を紹介するドキュメンタリー番組「あしたの薬局」をYouTubeチャンネルで立ち上げたりしている。京都府薬剤師会理事。趣味はデスメタル、パチンコ・パチスロ。
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